Leonore overture

台風15号はまもなく東北を抜けて行きそうです・・・被災地が心配ですね。今日はオープンリハーサルでしたが、暴風の影響でしょうか、お越し下さった方は10人ほどでした。でも私たちの真剣なリハーサルを悪天候の中わざわざ観に来て下さり、うれしかったです。

ところで、明日の一曲目に演奏するベートーヴェンの「レオノーレ序曲 第三番」には忘れられない思い出があります。そのうちの一つをご紹介しますね。

1981年、武蔵野音大の4年生だった私は、練習と勉強に明け暮れる毎日で、3年生になった頃から都内のオーケストラなどでエキストラの仕事をさせていただけるようになったり、少しづつプロの世界への手応えを感じ始める毎日でした。エキストラの仕事が増えると、収入の助けにもなり、東京にいながらもなかなか聴きに行けなかった外来のオーケストラの公演にも行けるようになり、音楽学生として充実した日々を送っていました。そんな中、6月1日に東京文化会館でフィラデルフィア管弦楽団の日本公演を久しぶりに聴く機会が訪れ、長い間このオーケストラのファンだった私は大喜びで公演日を待っていました。当時、サントリーホールはまだなく(1986年秋のオープンです)クラシックいえば「文化」とか「上野」とよばれた東京文化会館が圧倒的な存在感を誇り、まさにクラシックの殿堂と呼ぶに相応しい場所でした。公演当日(日付が思い出せません・・・)のプログラムは、ユージン・オーマンディの指揮でベートーヴェンのレオノーレ序曲と交響曲第三番「英雄」、休憩をはさんでドビュッシーの「牧神の午後」とラヴェルの「ラ・ヴァルス」という日本のオーケストラでは今でも絶対あり得ないようなプロです。アメリカのなかでもフィラデルフィア管弦楽団はこのようなプログラムをよく組み、リッカルド・ムーティの本番でも、「英雄」が一曲目で、休憩の後はラヴェルの「スペイン狂詩曲」、「ボレロ」という斬新なプロがありました。

いよいよ本番です。フィラデルフィア管弦楽団は、当時オーマンディが音楽監督を退き、リッカルド・ムーティが新音楽監督としての初海外ツアーで、楽団員は当然ながら全員がオーマンディ時代に入団したベテラン揃いです。万雷の拍手に包まれてオーマンディが舞台に登場します。「レオノーレ」は、最初のGの総奏が重要ですが、オーマンディは(実際はとても小柄なおじいちゃん、といった感じでした)クルクルッと円を描くように指揮棒を動かしましたが、その瞬間に音は出なく、その一秒後に「バン!!」と完璧なアインザッツで曲が始まりました。コンサートマスターのノーマン・キャロルが大きな合図をしたわけでもなく(彼はほとんど動かないコンマスとして有名です)楽員はみんな「こんなの普通だぜ」みたいな表情をしています。その後もオーマンディは大振りもせず、淡々と指揮してゆくのですが、時折大きな動作をするとオーケストラの音が瞬時に変わり、その色彩はホールの空間をぐるぐる廻るようで、空気が動くかのようでした。これは同じ東京文化会館で聴いたシカゴ交響楽団ともベルリンフィルともウィーンフィルとも違う豊かな音でした。こうなると、よく言われる「アメリカのオーケストラのベートーヴェンは・・・」みたいな批評家的な見方なんてどうでも良くなります。とにかく古典だろうが何だろうが、豊かな響きでたっぷり聴かせるというスタイルが徹底していて、弦楽器の編成も、18-16-12-12-9で、管楽器も重複した4管で、降り番の奏者以外は全員舞台にいました。中間部の有名なトランペットの舞台裏で演奏するファンファーレでは、2回演奏するうちの1回目は舞台下手(しもて)の遠くで演奏され、2回目は上手(かみて)の近くで演奏され、2回のファンファーレを2人で違う場所で演奏させるという、4人のトランペット奏者をうまく配置した(オーケストラ内では2人)良いアイディアでした。また、難所として知られる弦楽器の速く細かい部分も、オーマンディは第1バイオリンに向けて小さな合図をしただけなのに、弾けるような瑞々しいサウンドが素晴らしかったです。とにかく、完璧なアンサンブルと弦楽器のぶ厚い響き、木管の色彩感、首席トランペットのフランク・カデラベックをはじめとする金管セクションの冴え渡る響き・・・オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団は、1978年に初めて聴きましたが、その時よりも私自身の音楽的な経験が増した分、指揮や演奏の凄さがよくわかり、忘れられない経験となりました。今でもこの曲を演奏するとき、30年前のこの体験が鮮やかによみがえります。明日は山響でこの曲を演奏した時のエピソードをご紹介します。これも「あり得ない」ような話です。お楽しみに!

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