福岡から戻りました。日本国内でもこれほど距離が離れると気候をはじめさまざまな違いがあって楽しく過す事ができました。九州交響楽団、広島交響楽団のユニオンによるオーケストラ協議会の西日本地方会議も、限られた時間の中で良い議論が出来たと思っています。会議翌日はオフだったので、太宰府天満宮を観光に行き、受験を控えている生徒達のためにお守りを買ったり、のんびり過しました。
さて、少し時間が過ぎてしまいましたが、「村川千秋の世界」はとても素晴らしい演奏会でした。2日間とも現在の山響のベストパフォーマンスだったと思いますし、これほど全員の技量と精神力が高まったステージはそうあるものではありません。フィンランディアでの厚い響きと色彩感、ヴァイオリン協奏曲で千尋さんが示した集中力とぐんぐん伸びてゆく音楽、そしてベートーヴェンではまさに「爆演」とでも言うようなエネルギー・・・。ステージの上から客席をみると、かつて理事として山響を支えて下さった村川氏と同世代の方々や、古くからのファンの方々がたくさん見えました。皆さん、とても満足そうな表情をされていたのが印象的でした。また、気付いたかたもいらっしゃったかも知れませんが、第1ヴァイオリンのエキストラにかつてのコンサートマスターである堀内希代子さん(旧姓・大澤)も参加されていて、往年と変わらない美音を奏でられていました。
先日の続きですが、ベートーヴェン5番の第4楽章のトランペット、トロンボーンの書き方について演奏しながら考えていました。当時はトランペットは現在のようなヴァルブがなく、自然倍音のみで演奏していたために管の全長が現在の倍ありました。つまり、トロンボーンとトランペットは同じ長さだったのです。山響で所有しているオリジナル楽器を見ると、トロンボーンはアルト、テナー、バスの3種類で、ベートーヴェン5番でもこの組み合わせで書かれています。トランペットは一台の楽器で管を入れ替える事で移調に対応するようになっていて、トロンボーンのテナーと全長が同じ長さで、管の径も同じです。整理すると、管が短い方からアルトトロンボーン、2本のトランペット、テナートロンボーン、バストロンボーンという順番になります。現在の楽器では2本のトランペット、アルト、テナー、バスという順になり、径は特にトロンボーンで顕著に太くなり、ベルもとても大きいです。
問題になる134小節めからは、現在の楽器で指示通りのフォルテで演奏するとトランペットが出過ぎてしまい、バランスをとるのが難しくなりますが、オリジナル楽器ではトランペットとトロンボーンが近い響きになり、2つの楽器と言うより5本の同族楽器としての音色が出るようです。また、ホルンがナチュラルホルンであればさらに金管の響きの一体感が出るでしょうし、ティンパニーとともに絶対的な存在感というか、効果が現れると考えられます。ベートーヴェンが5番の第4楽章で教会の楽器であったトロンボーンを敢えて使ったのは、宗教曲で使われる楽器のイメージが強い、すなわち「死生観」を持つトロンボーンと勇壮なトランペット、ティンパニーを組み合わせる事で、自らに振りかかるさまざまな困難を乗り越え、「死」をも超越した世界への到達を目指す強靭な心があったからではないでしょうか。しかしこれは同時に教会の存在、つまり「神」の否定に繋がりかねない事でもあり、当時のヨーロッパ社会へでは今よりも大変なリスクを伴うものでもあったでしょう。それほどまでにベートーヴェンは音楽を通して強いメッセージを送り、今もなおその精神が受け継がれている、と解釈する事も間違いではないと私は思います。29日の村山市民会館で万雷の拍手を浴びた村川氏は、客席に向かい「山響は永遠です!」と述べ、会場はさらなる感動に包まれました。音楽は人を感動させるだけでなく、困難を乗り越え一つの事を成し遂げ、人生の目標に到達するという素晴らしい仕事をさせるだけの力があるものだ、と強く感じた瞬間でした。
…そして、強いメッセージは長い年月を経てもしっかり残り、
演奏者の手によって、いつも新しく、鮮やかに蘇るんですね。
興味深く読ませて頂きました。
次のナチュラルを楽しみにしていますね。
うにさま
演奏とは、再現芸術ですよね。印刷された音符が生き返ったように動き出す・・・ベートーヴェンがやモーツァルトが残した音楽こそ「世界遺産」だと思います。
最良の再現ができるよう、さらに頑張りたいと思います。