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素晴らしかった第204回定期演奏会・・・ハイドンを通じて18世紀のヨーロッパ文化に触れる事のできた日々でした。長い間のオーケストラ奏者としての経験を経ても、古典のレパートリーの深層まで踏み込めたコンサートはそうたくさんあるものではなかったかも知れません。しかし、思い起こせば第100回定期演奏会で共演し、その後もたびたび共演させていただいたた山響草創期のコンサートマスターであり、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第一コンサートマスター(当時)であった安永 徹さんとのベートーヴェンなども、まるで出来立てのようにフレッシュな響きであったように思います。

芸術にはさまざまなジャンルがありますが、例えばシェイクスピアに代表される古典劇などは、創られた当時の英語で演じられます。日本の歌舞伎でも、もちろん現代の言葉使いを用いる事はありませんし、雅楽を洋楽の楽器で演奏する訳ではありません。オペラでは物語を現在に置き換えた演出がされることはまれにありますが、通常は作品が創られた当時のスタイルで再現されます。しかし、ほとんど音楽の世界だけが作曲者の意図とその当時の方法論を正確に再現せず、現代の楽器と環境(大きな会場と大編成のオーケストラ)で演奏されてしまうのではと、長い間私は感じていました。現代のオーケストラはバロック時代から今年作曲された新作まで、大変広範なレパートリーをもたなければなりませんし、時代ごとの奏法と使用する楽器をレパートリー毎に変更する事はほとんど不可能です。私たちは中部ヨーロッパの音楽を演奏する時にはロータリートランペットを使用しますが、それとてモーツァルトの時代にあった楽器ではなく、近・現代のヨーロッパのオーケストラが用いている事を考慮しているに過ぎません。

近年、山響でもナチュラルホルンやトランペットなどのオリジナル楽器を用い、モーツァルトを中心とした古典レパートリーの演奏を行っていますが、今回の鈴木秀美さんのアプローチは、楽器の奏法や楽譜に対する理解だけでなく、18世紀の音楽の語法について確固としたものを示し、それらはオーケストラにとって大変大きな影響となってこれからも残ってゆくと思います。音楽は「書かれた通り」にその本質が再現されなければならないし、時代楽器を用いない場合でも、作品に適した演奏スタイルをとる事がより必要なのだと思います。個人的にも鈴木さんとの多くの対話を通してナチュラルトランペットへのアプローチが根本から変わりましたし、古典のレパートリーに対しても新たな視点で勉強し直す意欲が高まりました。少し時間が必要かも知れませんが、より音楽的な演奏ができるよう、努力し続けてゆきたいと思っています。