今日は東京フィルハーモニー交響楽団の山形公演がテルサホールでありました。「東フィル」と呼ばれるこのオーケストラは、100年の歴史を持つ日本を代表するオーケストラのひとつです。特に近年は指揮者やソリストも素晴らしい顔ぶれが揃っていて、演奏も大変素晴らしく、今後ますます注目されてゆくでしょう。
「東フィル」にも友人が何人かいますが、コントラバスの副首席奏者を務める加藤正幸さんは大学時代からの親しい同級生/友人です。東フィルに入団する前は山響にもエキストラとして何度も演奏に来てくれました。今日のテルサでの演奏を聴くことはできませんでしたが、終演後に会いに来てくれて、久しぶりにたくさん話をすることができました。お互い歳をとりましたが、この世界で共に頑張ってこれて感慨深いものがありました…
朝から吹奏楽クリニック、お昼はVWのディーラーに車を入院させ代車を借り、午後は東北文教大で授業、夕方からはけやきの森ブラスのリハーサル…一日が終わるのが早いです…丸一日何もしない日はいつかなあ…
今日は演奏を離れ、東京・国立劇場内にある日本芸術文化振興会で、文化庁が日本国内のオーケストラに行っている助成についての意見交換会に行ってきました。文化庁は1980年代から本格的にオーケストラを含む文化支援を強化し続け、現在は多くのオーケストラがさまざまな形での助成を受けるまでになりました。諸外国、とくにヨーロッパなどに比べれば日本の場合、国家予算における文化予算の位置づけがもう一つという感は否めませんが、これだけの税収の落ち込みの中、助成の減少を最小限に食い止めている姿勢は高く評価できると考えます。昨年の震災以降、いわゆる「心のケア」に音楽が大きく役立つことは広く知られるところですが、それを含めてより多くの方々へ質の高い音楽を届けられるよう、オーケストラ側もさらに努力を続けなければなりませんし、行政、自治体も文化振興をより進める施策をとっていただきたいと思います・・・
三笠宮寛仁親王が逝去されました。「ヒゲの殿下」として国民にしたしまれた寛仁親王は、生涯にわたって福祉や文化、スポーツ振興に力を注がれたほか、剛直で豪放磊落、しかし繊細という魅力あふれるお人柄で、多くの功績を残されました。それについては報道などで数多く伝えられていますので、あらためて記すことはしませんが、殿下と音楽について多くの方がご存じではない点についてだけ、述べさせていただきたいと思います。寛仁親王は、そのお印である「柏」(Oak)にちなんだ「柏朋会」という慈善団体の会長を務められ、毎年東京都内で「愛のコンサート」を長い間開催されてきました。山響の私たちもそのことは存じていませんでしたが、昨年の震災を受けて、殿下から「東北の音楽家を呼びたい」とのお申し出があり、柏朋会の音楽監督で私たちとも長いお付き合いのある神津善行先生を介して私たち山響が昨年10月26日に「愛のコンサート」に出演させていただくことになり、文化庁公演のツアーの中、東京のメルパルクホールで神津先生の指揮の下、殿下に演奏を聴いていただくことができました。当時すでに体調がおもわしくなかったにも関わらず、身を乗り出すように山響の演奏を聴いていただき、終演後のレセプションでは22時過ぎまで楽団員一人一人と言葉を交わされ、写真撮影にも快く応じていただいたり、楽員一同大変感激しましたし、私も個人的にお話しさせていただき、そのお人柄と文化を愛する姿勢に大変感銘を受けました。殿下は山響の演奏を心からお褒め下さり、「ぜひまた聴きたい」とおっしゃってくださいました。残念ながらそれはもう叶いませんが、嬉しそうに微笑む殿下のお姿は私たちも決して忘れることはありませんし、殿下が願った「多くの人々に幸せを」という理念を私たち音楽家も引き継いでゆくことが、文化人としての大切な使命ではないかと感じています。あらためて謹んでご冥福をお祈りいたします。寛仁親王殿下、ありがとうございました。
ヒトラーの依頼でポルシェがVWを設計したとき、まだポルシェは自分の自動車会社を立ち上げてはいなく、ダイムラーやアウトウニオン(後のアウディ)で設計などを担当していました。これは推測ですが、もしドイツが戦争をしていなかったら、ポルシェはポルシェ社を立ち上げ、そのモデルの一つとしてVWを生産したでしょう。そして、その上級モデルとして356や911をラインナップしたと考えるのが自然ではないでしょうか。結局VWは政府直属の会社として設立され、戦後もEUの発足までは半官半民の「公社」として存在し続け(現在は普通の企業です)私企業のポルシェとは別の会社になってゆきます。
戦後、生産されたVWは、1950年代から世界中で大成功し、日本にも1952年から輸入されます。また、特にアメリカで大ヒットし、大きなエンジンと重い車体でガソリンをがぶがぶ喰うアメ車に対してVWはとても知的に見え、ちょうど現在プリウスがもてはやされているように、VWに乗ることがエコでクリーンとのイメージが出来上がってゆきます。ポルシェはVWを設計するときに、一台売れるごとに自分にマージンが入るよう当時の政府と契約を交わしていましたが、これが戦後も有効であり続け、VWの大ヒットとともに戦後設立されたポルシェ社にも大きな利益をもたらし、911などの高性能スポーツカーを設計、開発するための十分な資金になってゆきます。1970年代になりVW Beetleが生産末期に入る頃、ポルシェ社では新たなモデルを設計し、VW社にその生産を提案しますが、これもマージンを新しいモデルでも確保しようと考えたのでしょう。(続く)
写真:左がポルシェ356、右がVW Beetleです。よく似ていますよね・・・
山形北高音楽科の定期演奏会が今年も山形テルサで行われ、ほぼ満員の聴衆が若々しく瑞々しい高校生の演奏を見守り、楽しみました。私は講師として同僚の山響メンバー数人と共にオーケストラの演奏に参加し、エルガーの「ニムロッド」やビゼーの「アルルの女」第2組曲を演奏しました。オーケストラは半数以上の生徒が副科(自分のメインの専攻ではないと言う意味です)として楽器を練習するため、演奏が上手く機能しない事も時々は起きますが、本番は集中力に富んだ良い演奏でした。打ち上げでは来年の選曲などについて盛り上がり(飲み過ぎ・・・です)ましたが、年々少なくなる入学者数が心配です。音楽科の将来のためにも何とか生徒数を定員いっぱい確保したいところです・・・
先日試乗したVW The Beetleについて、続きです。
ご存じの方も多いと思いますが、VWという会社は1938年に当時のナチスドイツが立ち上げた「国民車構想」(Volksは民衆、Wagenは車という意味のドイツ語です)がその始まりで、ヒトラー総統の命令により天才エンジニア、フェルディナント・ポルシェ博士が設計し、自らの研究所で完成させた車がVW type1、後のBeetleです。また、ポルシェ博士に車を設計させると共に、全ドイツに張り巡らせた「アウトバーン」と呼ばれた高速道路を整備する事で自動車の普及を促進させる政策をとります。政府はVWを買うために給料からの天引き制度を奨励し、労働者はこれにこぞって応募しますが、戦争が始まってしまったため、VW は軍需工場となり、天引きした購入資金は軍事費になってしまい、実際に車を受け取ることができたのはほんの数人とも言われています。戦争ではヒトラーの指示でポルシェ博士の設計したVWは、戦車や軍用車としてその高性能ぶりを発揮しドイツ軍を支えますが、敗戦後工場はイギリス軍に接収され、ポルシェ博士は戦犯として獄中に送られてしまいます。その後イギリス軍は接収したVWの工場を「利用価値なし」と判断し、ドイツに返還します。そして1945年、ヒトラーの国民車構想は新たにVWType 1として再開発され、たちまち世界中で成功してゆきます。また、1947年にはポルシェ博士も釈放されますが、獄中生活で健康を害し、息子のフェリー・ポルシェが陣頭指揮を執り開発したポルシェ356とVWの成功を見届け、1951年に75歳で亡くなります・・・(続く)
写真:2008年に仕事でドイツに行った際にVW本社のあるヴォルフスブルグに行き、アウトシュタットと呼ばれるVWのテーマパークを見ることができました。この写真は奥のグレーの車が1938年の試作車1号、赤いのが2号車、そして手前の黒いのが生産型です。
せっかく早起きしたのに、自分の番組を聴くのを完全に忘れていました。放送時間中に届いたメールにも「??」と考えたり、まるで頭が冴えませんでした…午前中に吹奏楽のクリニックをしたあとはオヤスミモードだったので、明日からは大丈夫かと…でも、明日収録の台本をまだ書いていません。明日昼がんばって本番までに間に合わせなくちゃ…今日は閉店です。
試乗してきました!詳細はあらためて!
今年ももう6月です・・・今日から衣替えですが、山響はスクールコンサートの場合、男性の服装は演奏会場がコンサートホールでも、体育館でも区別なしに白ワイシャツと黒スラックスのみで、昨年まで着用していた黒蝶ネクタイは着けないことにしました。タキシードの場合は黒蝶ネクタイですが、ジャケットなしでワイシャツと黒スラックスで黒蝶ネクタイだと、プロレスのレフェリーみたいで酷くカッコ悪いと言われていました・・・8月の盛夏に行われる定期では燕尾服を着用せず、黒シャツのみで(結構世界中で増えてきました)演奏してみようと計画中です。ステージ衣装は基本的にフォーマルなので、どこまで崩して良いのかは、聴衆の皆さんの感覚もリサーチしなければならないでしょうし、難しいところです。ただ、近年はあまりに暑い時期の公演もあり、楽に演奏できてリラックスして聴けるような環境を作り出すのも大切なんですよね・・・・
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