ロンドンオリンピックも連日の日本選手の活躍と、世界のアスリート達が感動的なシーンを展開してくれています。素晴らしいですね!
日本選手の活躍は、大会前の予想と異なる結果も出ていて、特に柔道の男子に金メダルがないことが懸念されています。柔道がオリンピック種目に採用されたのは、1964年の東京大会からと思いますが、柔道はそれ以前から世界中に広まりつつあり、日本文化を代表するものの一つとして親しまれてきました。以来、いわゆる「お家芸」としてオリンピックの度に時代をリードする選手が出てきました。しかし近年は特に重量級のカテゴリーにおいて、日本選手を上回る力を持った選手がしばしば優勝するほか、国際的なレヴェルも高くなり、運動能力に長ける外国人選手の躍進が目立つようになりました。今回のロンドン大会でも、日本以外の選手が金メダルを数多く取っていて、私はそれ自体は素晴らしい事と思っています。しかし、一部の論調には外国の柔道をさして「あのような姿勢は伝統的な柔道ではない」とか、「柔の道を理解していない」という意見がありますが、スポーツの国際化に伴い、さまざまな方法論や考えが出てくるのは避けられません。例えば日本でも長い歴史を持つベースボールは正岡子規によって「野球」と命名され、競技に対する考え方の根底には日本的な思考がきわめて強く反映されています。ちなみにバレーボールやバスケットボールを始め、数多くあるスポーツの中で、呼び方が日本語に変わっているものはほとんどありません。多くの方はもうその違いを意識することはないのかも知れませんが、やはりベールボールと野球はかなり異なるものであると私は考えています。しかし、アメリカ人は日本がWBCで優勝しても「あんなのはベースボールではない」とは言いませんし、国やチームが違えば考え方が異なるのは当然だと考えているように見えます。
「伝統」を守るのはもちろん大切な事だと思いますが、時に日本人はあまりに「唯一」という考えに固執する事がありすぎると私は思っています。クラシック音楽の世界でも、かつてはドイツのオーケストラ以外はオーケストラではない、という発言をする方も多かったですし、いまでもそうかも知れません。では、日本人以外が握った寿司は寿司と言わないのか?また、フランス人以外がフランス料理を作ってはいけないのか?・・・
もし、日本が「柔道」というものにこれからもこだわり続けるのであれば、国際化や周りの動向に右往左往するのでなく、柔道本来の「道」を再発見するしかないでしょう。「伝統」という発想に縛られず、しかし本来のあり方に立ち返り、そこから新しいものを見つける時に「新たな伝統」が生まれるのではないでしょうか。