今回の山響定期では、初の試みとして燕尾服を着ないで黒シャツで演奏することになりました。これは山形の夏があまりに暑いため、コンサートホールといえどもステージ上で演奏に集中できない事が多いために、採用されたものです。リハーサルでは普段着なのでTシャツやハーフパンツなど、涼しい服装で演奏していますが、正装だとスタンドカラーのシャツ、蝶ネクタイ、ベスト、そしてテールコート(燕尾服のジャケットの事です)と、重装備なみの重ね着になり、特にこの時期は演奏どころではありません・・・サマーウールの燕尾服もありますが、何着も持つようなものではありませんし(買えません)、盛夏の間だけでも何とかしたいと思っていました。コンサートで黒シャツを着ることは、世界中のオーケストラで少しずつ行われ始めています。ミュージカルやオペラなどでも、オーケストラピット内で白い色が目に付かないように黒ずくめで演奏する事もあります。個人的な意見ですが、私はきちんとしたタキシードがあれば燕尾服は指揮者だけで良いと思っています。また、燕尾服はいわゆる「夜の正装」なので、山響が行っている16時からのコンサートに燕尾服を着るのは本来はドレスコードに反することです。タキシードは夜の略礼装、昼の正装はモーニング、略礼装はディレクタースーツ(黒いダブルのジャケットに縞ズボン)が本来のルールです。ホテルマンが朝からタキシードを着てるのも変ですね・・・
そもそも「演奏」にフォーマルウェアのドレスコードをどこまで適用するかは、さまざまな解釈があると思いますが、7月、8月のコンサートでは軽装で演奏する事があっても良いと私は思います。
初日が終わりました。シュトルンツさんは管弦のバランスに注意し、弦楽器主体のサウンドを作り、そこに木管のソリスティックな要素と金管の輝きを上手くミックスしてゆきます。こういったバランス感覚は東欧の指揮者に多く見られます。同じチェコではヴァーツラフ・ノイマンやズデニック・コシュラー(懐かしい!)さらにはラファエル・クーベリックなど、往年の名指揮者の演奏は(全て実演を聴きましたが)暖かな弦楽器主体のサウンドを醸し出していました。山響はご存じのように弦楽器が少ないですが、シュトルンツさんはそれをうまく生かし、山響から新しいサウンドを引き出していました。あと2日間でこの響きがどう発展するのか、楽しみです。
すべてのリハーサルを終え、明日が初日です…今日はドボルザークが何となく全体が噛み合わず、特に第三楽章のノリがイマイチかな…と感じました。しかし、これはテクニカル面の問題ではなく、それほど深刻なものではない事から、明日テルサでのゲネプロでは上手く行くと思います。シュトルンツさんもそう判断したのでしょう。しつこくやり直す事なく、あっさりとリハーサルが進んでゆきました。リハーサル後半からはソリストの堀米ゆず子さんも合流し、ベートーヴェンの協奏曲のリハーサルが始まり、深みのある美しい響きで交響曲さながらの音楽を創ってゆきます。こちらも明日の本番がとても楽しみです!
山響のCD新譜情報です!
シューマン交響曲第2番と第3番「ライン」が8月22日にリリース決定です!既に発売されている第1番、第4番(初稿)そしてYSOLive第1弾として発売された第4番と併せて全集完結です。特に第3番「ライン」の演奏は大変素晴らしく、第2番はピリオド楽器と奏法、第3番はモダン楽器と、山響のサウンドの違いも充分にお楽しみいただけると思います。
山響では8月10日、11日の第223回定期演奏会と、12日の庄内定期、そして19日にテルサで行われる「音と絵本」コンサートで先行発売をいたします。ぜひお買い求めいただき、飯森&山響が切り開く新たなシューマンの世界に触れて下さい!
よろしくお願いいたします。
第223回定期のリハーサルが始まりました。今回は昨年3月11日の定期で予定されていたスメタナの「モルダウ」とドヴォルザークの交響曲第7番を、指揮者も同じイジー・シュトルンツさんで演奏します。シュトルンツさんは今度で3度目の登場ですが、細やかなニュアンスを作る事と管弦のバランスに最新の注意を払いながらデリケートな響きを作って行きます。昨年3月は3日間リハーサルをして、本番当日のゲネプロで震災が起こり、中止になったため、シュトルンツさんも「今日のリハーサルは4日目だよね」とジョークを交えなから私たちとの再開を喜んでいました。リハ終了後は山形市内の居酒屋で盛り上がり、楽しいひと時を過ごしました。
今日は67回目の「ヒロシマ」の日です。広島市の平和記念公園では、「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が行われました。広島市の松井市長は、東日本大震災と原発事故の被災者の姿を「67年前の広島の人々と重なる」と表現、復興に向けた激励の言葉を「平和宣言」に盛り込みました。歴史を変えることは出来ませんが、もし日本がポツダム宣言を早期に受諾していれば、2つの原爆が落ちる事はなかったでしょう。また、戦況が悪くなっているのに「本土決戦」を唱え、いたずらに戦争を続け、結果として東京大空襲などで数十万人以上の市民が犠牲になった事は、当時の戦争遂行者がいかに無知、無責任であったかを示すものです。戦後はアメリカの統治下で復興が進められましたが、一部の戦犯が死刑になった以外、戦争責任が明確になったことはありませんでしたし、戦後処理のまずさが領土問題や外交面での諸問題となって今も解決に至っていません。
バブル期以降の政治や、平成に入ってからの政情の不安定さ、また昨年からの震災と原発事故への対応を見ると、日本はあの悲惨な戦争から何も学ばなかったのではとさえ思えてきます。原発事故など、東電や政府では何も解決できません。IAEAや海外の専門家の力を積極的に借り(全部任せても良いくらいです)早く手をつけないと本当に手遅れになってしまいます。くだらない政局争いなどしている暇があるのなら、少しはまともな仕事をして欲しいと思うのは私だけではないでしょう。
スポーツの世界では、「ベスト4」とか「ベストナイン(野球など)」という言い方をよく使います。でもこれはいわゆる和製英語ではないでしょうか。昔は歌番組で「ザ・ベストテン」とかありましたが・・・本来ならば「トップ4」とか「トップテン」というのが正しいのではと思いますが。野球の場合はシーズンオフにリーグごとに各ポジションの代表選手を選びますが、それは日本の場合「ベストナイン」と呼ばれています。しかし、アメリカでは「オールスター」と呼ばれています。音楽の世界でも、例えばポピュラー音楽の代表誌であるビルボード誌では、「ベストテン」ではなく、「トップテン」と呼びます。まあ、長い間の習慣ですから、何から何まで和製英語がダメとは言えませんが、「ベスト4」はそろそろ「トップ4」と言っても良いのでは、と思っているこの頃です。
文翔館中庭のコンサートが終わって、次の仕事は8月7日から始まるリハーサルです。このリハーサルは10,11日(テルサ)12日(鶴岡)が本番の山響第223回定期演奏会のためのリハーサルです。山響は7月24日の「海の日」コンサートが終わってからオーケストラとしては8月7日のリハーサル初日まで2週間の夏休みで、それぞれ休養して気持ちも新たに戻ってくるはずです(金管セクションだけ8月2日にコンサートがあったので、「登校日」的な、どことなく損をしたような感覚でした)今回の定期は、昨年3月11日、12日に予定されていて、東日本大震災で中止を余儀なくされた演奏会と同じプログラム(協奏曲は違いますが)で、指揮も同じイジー・シュトルンツさんです。シュトルンツさんは明日山形に入るとのことで、盛夏の山形と花笠祭りを初めて目にすることになると思いますが、チェコ人である彼がこの光景をどのように感じるか、とても興味がありますね!
ロンドンオリンピックも連日の日本選手の活躍と、世界のアスリート達が感動的なシーンを展開してくれています。素晴らしいですね!
日本選手の活躍は、大会前の予想と異なる結果も出ていて、特に柔道の男子に金メダルがないことが懸念されています。柔道がオリンピック種目に採用されたのは、1964年の東京大会からと思いますが、柔道はそれ以前から世界中に広まりつつあり、日本文化を代表するものの一つとして親しまれてきました。以来、いわゆる「お家芸」としてオリンピックの度に時代をリードする選手が出てきました。しかし近年は特に重量級のカテゴリーにおいて、日本選手を上回る力を持った選手がしばしば優勝するほか、国際的なレヴェルも高くなり、運動能力に長ける外国人選手の躍進が目立つようになりました。今回のロンドン大会でも、日本以外の選手が金メダルを数多く取っていて、私はそれ自体は素晴らしい事と思っています。しかし、一部の論調には外国の柔道をさして「あのような姿勢は伝統的な柔道ではない」とか、「柔の道を理解していない」という意見がありますが、スポーツの国際化に伴い、さまざまな方法論や考えが出てくるのは避けられません。例えば日本でも長い歴史を持つベースボールは正岡子規によって「野球」と命名され、競技に対する考え方の根底には日本的な思考がきわめて強く反映されています。ちなみにバレーボールやバスケットボールを始め、数多くあるスポーツの中で、呼び方が日本語に変わっているものはほとんどありません。多くの方はもうその違いを意識することはないのかも知れませんが、やはりベールボールと野球はかなり異なるものであると私は考えています。しかし、アメリカ人は日本がWBCで優勝しても「あんなのはベースボールではない」とは言いませんし、国やチームが違えば考え方が異なるのは当然だと考えているように見えます。
「伝統」を守るのはもちろん大切な事だと思いますが、時に日本人はあまりに「唯一」という考えに固執する事がありすぎると私は思っています。クラシック音楽の世界でも、かつてはドイツのオーケストラ以外はオーケストラではない、という発言をする方も多かったですし、いまでもそうかも知れません。では、日本人以外が握った寿司は寿司と言わないのか?また、フランス人以外がフランス料理を作ってはいけないのか?・・・
もし、日本が「柔道」というものにこれからもこだわり続けるのであれば、国際化や周りの動向に右往左往するのでなく、柔道本来の「道」を再発見するしかないでしょう。「伝統」という発想に縛られず、しかし本来のあり方に立ち返り、そこから新しいものを見つける時に「新たな伝統」が生まれるのではないでしょうか。
文翔館中庭コンサート、たくさんのお客様にお越しいただきました!良い演奏だったと思いますが、とにかく暑かった…今日はこの夏最高の37度超え…あと一ヶ月後に演奏したかったです「お月見コンサート」とか、どうでしょうか?
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