Leopold Stokowski

音楽を記録するフォーマットは、エジソンが1877年に蓄音機を発明して以来、蝋管、SP盤、LPレコード(モノラル〜ステレオ)、CD・・・現在はサーバーからダウンロードする事が多くなり、昔のようにCDを買う事は少なくなりつつあります。また、映像もYouTubeの普及で、テレビ番組を自分で録画しなくてもコンピューターやタブレット、携帯電話などのデヴァイスでどこでも映像を見る事もできます。オーケストラでの演奏という仕事をしていると、演奏という行為が一度限りのものである事を毎回感じますが、演劇などの舞台がやがて「映画」という形で記録され、実際の公演を観に行かなくても世界中で鑑賞できるようになったのと同じく、演奏という行為も「録音」という技術が発達するとともに、一回限りのものと異なる形で普及してゆきます。
この、「録音」を通してコンサートホールに来なくても家庭で手軽に音楽を楽しめるという、新たな技術に取り憑かれた最も有名な指揮者はやはりヘルベルト・フォン・カラヤンでしょう。彼は指揮者として手兵のベルリンフィルを徹底して磨き上げ、高度に洗練されたコンサートを作り上げたとともに、その演奏をレコードを通じて世界中の音楽ファンに届けました。また晩年は映像制作にもこだわりを見せ、自らの美意識を徹底して貫き通しました。そのカラヤンに強い影響を与えたと言われる指揮者がレオポルド・ストコフスキーです。ストコフスキーは蝋管時代から録音に強い関心を持ち、20世紀の初めにフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任してからはこの「録音」に執着するようになります。また、クラシック音楽の映画化にも乗り出し、1937年には映画「オーケストラの少女」にフィラデルフィア管弦楽団とともに出演し、クラシック界に新たな旋風を巻き起こします。そして1940年にはディズニー映画の「ファンタジア」の制作に深く関わり、映画の中でミッキーマウスと握手までして、ハリウッドスター並みのステータスを得る事になります。
ストコフスキーは本当に新しいものが好きで、フィラデルフィア管弦楽団を去った後も新しいオーケストラを創設したり、発展途上のオーケストラで自分の思い通りの采配を振るったり、好き放題の人生を送りますが、指揮者としての全盛期は1960年代半ば頃で、その頃から仕事のペースは徐々に落ちてゆきます。フィラデルフィア管弦楽団とは「ファンタジア」の後に一度関係を解消しますが、1960年に20年ぶりにフィラデルフィアに戻り、客演指揮とレコーディングを行います。自らが育て上げ、世界一とまで言われるようになったフィラデルフィア管弦楽団とのステレオ録音でのレコードは、この時に収録されたものだけで、その存在は長らく忘れられていましたが、今回ストコフスキーの生誕130年を記念して復刻されました。フィラデルフィア管弦楽団とはファリャやワーグナー、そして得意のバッハの編曲ものが収録されていて、分厚い弦楽器と色彩感あふれる木管楽器、輝かしい金管楽器など、今では聴く事のできない「フィラデルフィアサウンド」の原点がそこにあります。また、ストコフスキーは山響の創立名誉指揮者の村川千秋さんの師匠であることは良く知られていますが、オーケストラの歌わせ方や弦楽器と管楽器のバランスの取り方など、師匠の影響を受けている事も窺い知る事ができます。1960年代のアメリカはフリッツ・ライナーとシカゴ響、ジョージ・セルとクリーヴランド管など、個性がとても強い演奏が楽しめた良い時代です。これらの演奏はデジタルリマスターで見違えるほど良い音となって聴く事ができます。ストコフスキーの演奏を聴きながら、演奏の「記録」の重さと生演奏の「一度限り」の意味について音楽家としてどのように考えるべきか、と思わずにはいられません・・・・

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