鶴岡での本番が終わり、2月8日にクリニックに診察に行き、再び腹部エコー検査の結果はやはり急性胆嚢炎との診断・・・胆石が大きくなって胆嚢が完全に閉塞していて、もう少しで胆嚢が破裂しそうな状態でした。ドクターは、ドレナージと呼ばれる腹部に針を刺して腫れた胆嚢から胆汁液を吸い出す応急処置を考えたようですが、検討の結果投薬で炎症を抑えてから手術を行うことを選択し、県立中央病院外科のアポを取って下さいました。そして緊急オペを行わないかわりに入院までの間、厳しい食事制限を指示され、アルコールと一切の脂肪を厳禁する事になりました。とりあえず痛みが収まったので、10年前の減量を思い出し、超低カロリー食で生活することを決め、毎日1200kcalを超えることがないように注意し、特に夕食を500kcal以下にするよう工夫しました。私は一度決めると徹底して凝るタイプなので、食材の準備なども自分で行いました。2月15日には県立中央病院で診察と術前検査を行い、入院は3月16日から、オペは18日とスケジュールも決り、あとはできるだけ体のコンディションを良くすることでした・・・。
2月6日の発作から3月16日の入院まで1ヶ月以上の間が開きましたが、通常はこれほど時間をあけることはありません。急性の場合、発作〜入院、オペまでは数日のうちに行われることがほとんどで、病院でも珍しがられました。1ヶ月以上禁酒することも以前の減量以来で、最終的には7週間の間お酒と油を摂りませんでした。油は乳製品もとらなかったので、ほとんど大昔の日本食状態です。しかし、これが体に大変良い結果をもたらし、入院までのあいだに体重が6キロ減り、投薬の影響ではありますが、山響の健康診断ではこれまで経験したことのない好成績でした。
食事療法中には2月18日の横浜みなとみらいホールでの神奈川フィルとの合同公演や3月13、14日の山響定期などがありましたが、それぞれ減量の影響でプログラムの最後では貧血気味でかなり危ない演奏でしたが、何とか無事終えて、16日から入院になりました。あらかじめ予約していた個室は大変快適で、演奏旅行で宿泊するホテルの比ではありません。オペ後には特別室に入りましたが、こちらはスーペリアルーム並みの設備で、本当に心身ともに体を癒すことができました。
16、17日は主治医(執刀医、麻酔医)と看護師さんからのレクチャーなどがありましたが、基本的には自由で、持ち込んだMacでネットやメールをしたり、普段はできない読書などで過しました。18日は早朝から絶食になり、点滴が入り午後1時にオペ用のガウンに着替え、歩いてオペ室に向かいました。少し不安ながらも楽しみにしていたオペだったので、ワクワクしていました(絶対、変ですよね)いよいよ、laparoscope cholecystectomy 、腹腔鏡下胆嚢切除術の開始です。オペ室前ではスタッフが出迎えてくれて、それぞれ自己紹介をしてくれたのには驚きました。患者を少しでも安心させようとする心遣いがとても嬉しかったです。オペ室に入り、手術台に乗り、ドクターが「佐藤さん、頑張りましょうね、よろしくお願いします」と話しかけて下さり、私は「よろしくお願いします。自分でオペを見たかったです・・・」そして背中に「硬膜外麻酔」を入れる事から始まり、針が刺さり一瞬の痛みを感じた後に全身麻酔が入れられ、その後は記憶がありません・・・お酒に酔って記憶があいまいな感じによく似ていたかもしれません。
意識が戻ると酸素マスクや尿道カテーテル、心電図や血圧のモニター、点滴のラインも増え、気管内挿管を施されていたせいか、喉が少し苦しく、寒気も感じました。お腹には4ヶ所の穴が開けられ、モニター(カメラ)、お腹を膨らませて器具が通るようにするために炭酸ガスを送るための穴、そして器具で手術行うための2ヶ所の穴・・・そのうち1ヶ所には切除部の状態を(出血など)見るためのドレーン管が挿入されていました。
オペの所要時間は1時間半ほどで、すべて順調だったことを聞かされ、取り出した胆石を見ました。確かに、4センチ近くありました。そのままでは取り出せないので、腹内で砕かれて4つの石に分かれていました。
オペ後は要観察なのでナースステーション隣の部屋に置かれ、硬膜外麻酔のラインを使った強力な鎮痛剤でもうろうとしながらも、1時間置きに看護師さんやドクターが観察に来てくれて、とても安心したことを夢の中の出来事のように覚えています。痛みは少しでしたが、やはり体全体が疲労していたようで、あまり眠れませんでした・・・。今回は腹腔鏡を使用した肉体的負担の少ないオペでしたが、これが開腹術や心臓のオペだったとしたら、一体どうなるのでしょうか・・・。
オペから一夜明け、19日朝は時折腹部の痛みに襲われながらも体調は安定しており、午前中のうちに尿道カテーテルと心電図や血圧などのモニター、それに硬膜外のラインが外されました。左腕の2本の点滴ラインは午後まで維持されました。お昼近くになり個室に帰ることになり、看護師さんの介助を受けながらゆっくりと歩き出します。ベッドから起きるとたちまち貧血になり倒れそうになりながら何とか歩きます。この時点での体力レベルはゼロに近かったです・・・個室に帰ってベッドに横になってもとにかく悪寒がひどく、吐きたいけど吐くものもなく、どうしようもない状態でした。後は回復するだけ、と解っているのですが、これほど自由が利かないとさすがに気分が滅入ります・・・・(つづく)