宮内高校の吹奏楽部を指導するようになり3ヶ月が過ぎ、吹奏楽コンクールの地区大会が迫ってきました。生徒たちとも親しくなり、指導の成果が現れはじめ、本番日を迎えました。長井市民会館のステージに立った時、公の演奏会で指揮をするのが初めてだという事を突然思い出し、とても緊張したのを覚えています。生徒たちと共に沢山の練習を積んできた事で演奏には自信がありましたが、 制限時間の12分間はあっという間に過ぎてゆき、高揚した中で演奏を終えました…コンクールの結果については十分な満足を得られるものではありませんでしたが、この時の体験は私にとっても大変強い影響を受けたものでした。今に続く吹奏楽指導と、指揮活動の原点は宮内高校での経験によるものなのです。
コンクール後は9月に行われた定期演奏会を全曲指揮し、川部先生が復帰された後も定期的に指導に通い、先生が転勤されて顧問が交代した後も指導を依頼され、毎年の定期演奏会を指揮し、宮内高校としての最後の年の定期演奏会にも関わる事ができました。結局、初めて指導に通い出してから10年以上の時が経ち、多くの生徒たち、先生方などと絆を深める事ができた事はとても幸せな事でした。最近は初期の生徒たちが山響の演奏会に来てくれたり、私のサイトを見てくれてメールを送ってれたりと、新たな交流が始まっています。
昨日のコンサートでは久しぶりに入った音楽室や校舎内を見る事もでき、来賓として出席されていた当時お世話になった先生ともお会いする事ができ、さまざまな思い出が蘇り、楽しい時間を過ごすことができました。私も51歳になり、音楽家として最盛期にあると思う一方、自らのキャリアの終点も意識するようになりました。そのような時に初心を思い出させてくれる一日を過ごせた事はとても良かったと思いますし、音楽を通した「縁」の大切さにもあらためて感謝の気持ちをもちました。今後も南陽高校がさらに発展し、社会に貢献できる人材を数多く輩出してくれるよう、心から願っています。20周年、本当におめでとうございます!
演奏活動だけでなく、教育活動にも力を入れていらっしゃるSatohさんの指導者としての原点。とても感銘を受けました。
このEssayでは時折タイムスリップしてSatohさんが音楽家として通って来られた様々な時代に触れることができるのも、愛読者である理由の1つです。
演奏家として山形交響楽団の歴史とともに30年近く歩んで来られたその道すじもさることながら、ひとりの音楽家として辿って来られた軌跡もまた、1つのHistoryとしての重みが感じられますね。
これまでSatoh先生に育てられた生徒さん達は、きっとその心をも受け継いでいらっしゃることでしょう。
Satohさんを通して「音楽のバトン」が若い世代に引き継がれることを期待するとともに、日々深みを増していくSatohさんの演奏を、これからもずっと聴き続けたいと願っています。
mitchintoshさま
ありがとうございます。指導者としての仕事は、日々の演奏と同じく重要なものと思っています。でも、宮内高校で得た経験は本当に大きなもので、指導法や指揮法を本格的に勉強するきっかけにもなりました。実は、11日のモーツァルト定期にも当時の生徒が来てくれていたようで、今も音楽を好きでいてくれてとても嬉しく思います。これからもそんな「音楽の力」が拡がっていくよう、頑張ってゆきたいですね。