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北海道出身。武蔵野音楽大学卒業後、1984年より山形交響楽団でトランペット奏者を務めている。オーケストラでは主にセクションプレイを通して、近年特に充実著しい山響のサウンドに貢献している。演奏活動の他にはソロ、室内楽などを行っている他、個人レッスンやスクールバンドの指導、ワークショップなどを東北各地で積極的に展開している。指揮活動では、1999年より指揮者を務めている山形市役所吹奏楽団を率いて、2003、2004年と連続して全日本吹奏楽コンクールに出場したほか、けやきの森ブリティッシュブラスバンドでは、創立当初より指揮者を務めている。現在、山形交響楽団トランペット奏者、山形北高音楽科、山形短期大学各講師。国際トランペット協会(ITG)会員。

Refresh&Detox

秋の連休の事をいつから「シルバーウィーク」なんて言うようになったんでしょうか・・・。本来、この時期は「お彼岸」なので、ゆっくり過すのが本当は最もふさわしいですよね。

ツアーの長旅を癒す暇もなく、22日には車で東京に向かいました(渋滞は少しでした)FIMやMUJの国際会議で通訳/秘書としていつも大変お世話になっているエヴェリン・ラクナーさんのご主人である斎藤民雄氏が高名な画家で、日本橋三越本店で10回目となる個展を鑑賞するためです。斎藤先生はウィーン在住が38年にもなり、ヨーロッパや日本で数多くの作品を発表しています。今回は今年がハイドンの没後200年にあたるため、オーストリアとイギリスでハイドンが過した風景を描いた繊細な作品が20点ほど展示されていました。私が鑑賞できたのは1時間ほどでしたが、非常に美しい色使いと、まるで空気が伝わってくるような雰囲気がある絵を鑑賞する事ができたことで、心が洗われるようでした。ラクナーさんご夫妻も私の訪問を大変喜び、歓迎してくれて、次回のFIMの会議での再開を約束してお別れしてきました。

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23日に山形に戻り、24日から再び始まるワークショップの旅に備えて出発です。今回は宮城県の太平洋側を2日間巡回します。今日24日は女川町、鳴瀬町でした。今夜は仙台市でJ-Popの最も著名なアーティストの一組である男性ヴォーカルユニット(実は以前からの大ファンです)のライブを聴きに行き、その優れた歌とパワフルな音楽をたっぷり堪能して、体と心から一度クラシック音楽を完全に洗い流しました。美しい絵画と音楽(仕事の音楽ではなく)に触れて、文字通りRefresh&Detoxで連休を過す事ができました。また、明日から自分の音楽に集中できそうです。

Departures

今、「おくりびと」が放映されています。ご存知の通り、山響がオーケストラの演奏シーンで出演しています。この撮影があったのは2007年の5月で、当時はどのような映画かよく分からず、山響としても初めての映画収録だったので、心配しながら撮影地の酒田に移動した事がよみがえります。オーケストラのシーンは2分足らずですが、確か8時間近く収録に費やしたように記憶しています。現場は監督、スタッフ以下全員のチームワークが素晴らしく、緊張感の中にも楽しい雰囲気が漂っていました。それに本木さんのチェロ奏者としての演技の素晴らしい事!真のプロフェッショナルとしての仕事ぶりに私たちも感心したものです。

亡くなった人を「おくる」事には誰しもさまざまな感情があると思いますが、今はこの素晴らしい映画に見入りたいと思います。

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Holiday

2週間のツアーが終わり、お休み・・・と思いきや、レッスンやリハーサルなど昨日まで忙しく、今日からようやく休日です。ツアーの間に届いた多量の郵便物や資料の整理や秋物の服を出したりと、雑用をこなした一日でした。また、2週間の間に2,500キロも走破したGOLFの洗車と掃除もして、秋支度も整いました。これからは紅葉の季節がやってきますね! 色ずく山々を観ながらのドライブが楽しみです!

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Hakodate

北海道での公演をすべて終え、同乗していた同僚を札幌駅まで送り再び単独で函館を目指します。北海道での文化庁公演は2005年に続く2回目でしたが、再び北海道に来れるのはいつになるのでしょうか・・・・この公演自体は毎年行われていますが、地域の指定には特に定めがある訳ではないので、決定は文化庁次第です。でも、私が現役でいる間にぜひもう一度来てみたいと思います。9月の夕暮れはとても美しく、北海道の澄んだ空気と混ざりあい、柔らかさを増し優しく漂います。スピーカーから流れるNorah Jonesのナチュラルな「スモーキー・ヴォイス」がとても良くマッチしています・・・。

先ほどからフェリーが動き出し、今は心地よい振動と揺れが睡眠をいざないます。11日の函館行きでも同船した山響の誇る美女3名は、すでに夢の中のようです。青森に上陸後は、このツアーのファイナルで、宮城県気仙沼市での公演があります。来月には同じツアーで岩手県、秋田県を廻ります。新しい政権がこの素晴らしい事業の継続と、さらなる文化政策の振興を進めてくれるよう、切に願います。

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Sapporo〜Susukino

北海道シリーズ最後の夜はやはり日本最大の歓楽街の一つ、ススキノです。(なんだかグルメレポートみたいですが・・・)私は1959年に生まれ、78年に東京に出るまで北海道で過しましたが、50、60年代は石炭の時代でした。札幌から名寄までの沿線を見ても、岩見沢、芦別、夕張、砂川など炭坑で振興してきた街が並びます。私の幼少時代、どこの家にもの家にも石炭を一冬分貯蔵しておく納屋があったものです。当時、石炭は安くて熱効率が良いために家庭や学校、駅などあらゆる場所で使われていました。学校でもいわゆる「だるまストーブ」があり、石炭当番と呼ばれるクラスの係が石炭庫から教室まで毎日石炭を運んでいました。50年代(昭和30年代、と言った方が分かりやすいかも知れませんね)の札幌を始めとする北海道の都市は、各家庭や会社から出る石炭ストーブの煤煙で町中が煤け、社会問題となりつつあり、東京など大都市の公害と並んで対策が急がれていました。そんな中、1964年のIOC総会で、1972年2月に開催される冬期オリンピックの開催地が札幌に決り、北海道と国を挙げての札幌の再開発が始まりました。そして、1965年の貿易自由化以降、原油もそれまでとは比較にならないぐらい大量に輸入されるようになりましたし、それに伴うさまざまな外国資本も流入する事となり、戦後の日本の企業は初めて「国際化」の荒波にさらされ、1964年の東京オリンピックを成功させた日本が、さらなる高度経済成長を目指してゆく事になったのです。

札幌(北海道)の近代化は、中央資本の進出と石炭に変わる石油エネルギーの浸透が大変重要な役割を果たし、リスクの多い石炭産業は少しずつ衰退してゆきました。私の家に初めて灯油ストーブが表れた日の事ははっきり覚えています。私は「こんな小さいストーブで部屋が暖かくなるのかな?」と心配しました。また、ストーブなのに電源コードがついていて、「火をつけるのに電気を使うんだ・・・」と思いました。点火のスイッチを入れると明るい火が灯り、部屋が暖かくなり始めたとき、「新しい時代が来た・・・」と子供ながらに思いました・・・。そして、ほとんどの家庭で石炭ストーブが姿を消した1972年2月3日、札幌では日本初(今も変わらずに使われています)のゴムタイヤ式地下鉄、千歳空港の国際化、札樽自動車道の開通、そして成長著しい札幌交響楽団など、大きく様変わりした人口100万人の札幌が、オリンピックの開会式を誇らしげに開催していました。あれから37年、札幌は開拓者と現代人との気概がコラボレートした素晴らしい都市として、内外から観光客が訪れ、光輝いています。今夜一人で散策したススキノも、バブル時代ほどではないにしろ、変わらず躍動感にあふれています。しかし、夕張に代表される炭坑を主たる事業としてきた街は、今では見る影もありません。繁栄と引き換えに失ってしまったものもまた大きいのです。これから次の世代に何を残すかは、今を生きる私たちの大きな責任だと思います。明るく輝く夜のススキノの風から時折感じるいにしえの記憶に、日々冷たさを増す風に絡むように漂う石炭のススの匂いを思い出すのは、私だけではないでしょう。

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Takikawa〜Sapporo

どこまでも抜けるような青空とさわやかな風・・・今日の北海道はこれ以上ないほどの秋晴れで、新たな気持ちで滝川までのドライブを楽しみました。先日もワークショップで訪れた江陵中学校は、今シリーズ最初となる吹奏楽部との共演も1曲あり、ワークショップでのレッスン以来、どれだけ練習してくれたかとても楽しみでした。可愛らしいトランペットパートの女性4人を始め、総勢50名近くの部員は、とてもしっかりとした響きを奏でてくれて、山響とのコラボレーションも抜群でした。この江陵中学校は、かつて全日本吹奏楽コンクールにも数回出場した名門で、これからもさらに練習を積んでくれれば、きっと多くの吹奏楽ファンにその名を再び思い出させてくれるようになると思います。
また、今日の演奏会ではほほ笑ましいハプニングもありました。今日の江陵中学校は、山響ファゴット奏者のY氏の母校ですが、オーケストラの伴奏で校歌を合唱するときに指揮を担当したのは何とY氏だったのです!このような機会は大変稀ですが、会場は和やかで幸せな雰囲気に包まれました。良かったですね、Yさん!

公演終了後は札幌に移動し、ご覧の通りです・・・今日は札幌に過すかつての生徒も合流し、楽しいひとときでした。

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この時期、ここで過すのは何年ぶりか思い出せないほどです・・・夏や冬には帰って来た事はありますが・・・北海道北部の9月は夜になるととても寒く、今は10度ほどしかありません。今日はゆっくりと過し、久しぶりにゆかりのある人たちとの時間を持つ事もできました。夕方には留萌市に住む弟も帰ってきて、親子4人で楽しく食事をし、一瞬時間が戻ったような感覚がありました。また、3年前に早世してしまったこの地での最も大切な親友と静かに向き合う事もでき、穏やかな気持ちを取り戻す事もできました。

写真は父親の実家裏に拡がる畑で、大地の実りが豊かに拡がります。明日から新たな気持ちで音楽に戻れそうですね。

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Nayoro

函館から約500キロを昼食、休憩込みで約6時間弱で走り、名寄市風連の実家に着きました。車で北上するにつれて目に映る風景と感じる風は、遠い記憶の中に眠るさまざまな感情を少しずつ思い起こしてくれます。特に旭川から北の光景は、ここが自分の原点である事を強く感じます。かつて自分が生まれ、暮らした頃よりも黄昏を感じさせるようになったふるさとは、変わらず静かで、少しだけ寂しく見えましたが、乾いた空気と穏やかな光は自分をやさしく包んでくれているようでした。

明日は久しぶりの休日なので、もう少しこの町の風との対話を楽しみたいと思います。

Hachinohe〜Hakodate

ツアーの1週目の本番が無事に終わり、現在は津軽海峡を函館に向かってフェリーで移動中です(ネットが使えるようになったんですね)昨日は八戸屋台村で美味しいお店を見つけ、青森の地酒も美味しくいただきました(飲みすぎ・・ました)「和風餃子屋台・十八番」というこのお店は、オリジナルの餃子に手作りの料理、それに青森のお酒をたくさんそろえたとても良いお店です。若く可愛らしい、しっかりした店長の「加奈」さんは明るい雰囲気で、カウンターに座るお客さんとの会話も弾みます。最近、山形でも屋台村がオープンしましたが、八戸屋台村はお店の数、種類とも大変多く、このエリアが八戸の皆さんにしっかりと浸透している感じがします。山響のメンバーも他のお店で見かけましたが、とても楽しんでいる様子でした。皆さん、八戸にお越しの際はぜひ、「和風餃子屋台・十八番」をお勧めします!

あと1時間ほどで函館に到着です。今夜は函館に泊まり、明日は名寄市の実家まで約500キロを一気にドライブです!

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Hachinohe

昨日は弘前市での本番を終え、青森市を経由して夕方に八戸市に到着しました。青森市北部の広々とした田園風景は、私の生まれ故郷である北海道と良く似ていて、緩やかに拡がる丘とゆっくりと草を食む牛たちの姿が、時の流れをゆっくりと感じさせています。
弘前市からおよそ130キロほどのドライブを経て着いた八戸市は、太平洋を見渡す大きな街です。山響はこれまでにも数回訪れていますが、潮の匂いと豊富な魚介類、そして青森の地酒は毎回の楽しみです。文化庁「本物の舞台芸術体験事業」では北海道から京都府まで巡回しましたが、訪れた街ごとの豊かな特色は、やはり日本の美しさを感じられずにはいられません。

今日の公演も、生徒達や先生、父兄の皆さんと会場が一体となった良い演奏会だったと思います。先日、ワークショップを共に過した子供たちも、オーケストラのサウンドの迫力を心から楽しんでくれていたようです。明日もどんな演奏会になるか楽しみですね!