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北海道出身。武蔵野音楽大学卒業後、1984年より山形交響楽団でトランペット奏者を務めている。オーケストラでは主にセクションプレイを通して、近年特に充実著しい山響のサウンドに貢献している。演奏活動の他にはソロ、室内楽などを行っている他、個人レッスンやスクールバンドの指導、ワークショップなどを東北各地で積極的に展開している。指揮活動では、1999年より指揮者を務めている山形市役所吹奏楽団を率いて、2003、2004年と連続して全日本吹奏楽コンクールに出場したほか、けやきの森ブリティッシュブラスバンドでは、創立当初より指揮者を務めている。現在、山形交響楽団トランペット奏者、山形北高音楽科、山形短期大学各講師。国際トランペット協会(ITG)会員。

Tsuruoka

今年で25回目を迎える「鶴岡音楽祭」に参加するために、山響は昨日から鶴岡市に来ています。山形から鶴岡までは山形自動車道と自動車専用道路(国道112号線月山道路)を使っておよそ100キロほどの距離です。昨日はこの冬一番の寒気で、月山道路の頂上付近で運転中何度も猛吹雪によるホワイトアウトに見舞われ、視界が極めて不良な中普段の倍の時間を要し、何とか鶴岡市に到着しました・・・。リハーサルは、音楽祭に出演するソリストの皆さんが庄内空港が吹雪で閉鎖されたために新幹線で東京〜仙台〜鶴岡と陸路での移動を余儀なくされ、オーケストラと合唱のみでリハーサルを進め、一時間ほどで終わってしまいました。一体ソリストの皆さんは何時間移動にかかったんでしょうか・・・お疲れさまです・・・。

音楽祭は、「雪の降る街を」で知られる中田喜直さんの作品を中心に、市内の子供たちや高校生、一般の合唱団やソリストをゲストに、多彩なプログラムで構成されています。「雪の降る街を」は、鶴岡市の冬の情景をモチーフに作曲されたと言われており、中田さんも生前、よく鶴岡を訪れ、この音楽祭に出演したことも多くありました。今日はまさにタイトル通りの雪景色です。季節感あふれる中田喜直さんの美しい音楽を私も皆さんと共に楽しみたいと思います。

Severe cold

Severe cold・・・「極寒」という意味です。つい先ほどの天気予報では、現在、北海道上空の寒気は世界で1番寒いとか・・・。今日は新潟で80センチの積雪があり、交通機関はマヒ状態のようでした。札幌では昨日から雪祭りが始まり、この寒波のおかげで雪像が美しく保てるそうです。山形でも昨日に引き続き気温が下がりました。明日はこの冬1番の寒さだそうで・・・山響は明日、鶴岡に移動してリハーサル、そのまま鶴岡市内に宿泊してあさっては長年行われている「鶴岡音楽祭」の本番日です。明日は鶴岡に無事にたどり着けるのでしょうか・・・不安でもあり運転が楽しみでもあります(^_^;)

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-34℃

暦では立春なのに、2月に入ってからは寒さが増しています。昨日の山形は最低気温がマイナス6度になり、街には鋭い寒気が漂っていました。今日は北海道の占冠(しむかっぷ)ではマイナス34度を記録しましたが、私が子供の頃の名寄市は1月〜2月の間にマイナス30度以下の気温を記録する事が10回以上はありました。当時は学校も防寒建築ではないですし、暖房設備も石炭ストーブだけで、教室から廊下に出ると外と同じように寒かったことから、30度以下の日は休校措置がとられていました。また、25度以下30度未満の場合は始業が2時間遅れ、20度以下25度未満の場合は1時間遅れとなり、朝6時のNHKニュースでの気象状況を見るのを楽しみに(!)していた事を思い出します。最近は地球温暖化の影響でしょうか、昔ほど気温が下がらなくなってきたようですが、ときどき冷たい空気を感じると故郷の空を思い出す事が今もあります・・・。

February

福岡から戻りました。日本国内でもこれほど距離が離れると気候をはじめさまざまな違いがあって楽しく過す事ができました。九州交響楽団、広島交響楽団のユニオンによるオーケストラ協議会の西日本地方会議も、限られた時間の中で良い議論が出来たと思っています。会議翌日はオフだったので、太宰府天満宮を観光に行き、受験を控えている生徒達のためにお守りを買ったり、のんびり過しました。

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さて、少し時間が過ぎてしまいましたが、「村川千秋の世界」はとても素晴らしい演奏会でした。2日間とも現在の山響のベストパフォーマンスだったと思いますし、これほど全員の技量と精神力が高まったステージはそうあるものではありません。フィンランディアでの厚い響きと色彩感、ヴァイオリン協奏曲で千尋さんが示した集中力とぐんぐん伸びてゆく音楽、そしてベートーヴェンではまさに「爆演」とでも言うようなエネルギー・・・。ステージの上から客席をみると、かつて理事として山響を支えて下さった村川氏と同世代の方々や、古くからのファンの方々がたくさん見えました。皆さん、とても満足そうな表情をされていたのが印象的でした。また、気付いたかたもいらっしゃったかも知れませんが、第1ヴァイオリンのエキストラにかつてのコンサートマスターである堀内希代子さん(旧姓・大澤)も参加されていて、往年と変わらない美音を奏でられていました。

先日の続きですが、ベートーヴェン5番の第4楽章のトランペット、トロンボーンの書き方について演奏しながら考えていました。当時はトランペットは現在のようなヴァルブがなく、自然倍音のみで演奏していたために管の全長が現在の倍ありました。つまり、トロンボーンとトランペットは同じ長さだったのです。山響で所有しているオリジナル楽器を見ると、トロンボーンはアルト、テナー、バスの3種類で、ベートーヴェン5番でもこの組み合わせで書かれています。トランペットは一台の楽器で管を入れ替える事で移調に対応するようになっていて、トロンボーンのテナーと全長が同じ長さで、管の径も同じです。整理すると、管が短い方からアルトトロンボーン、2本のトランペット、テナートロンボーン、バストロンボーンという順番になります。現在の楽器では2本のトランペット、アルト、テナー、バスという順になり、径は特にトロンボーンで顕著に太くなり、ベルもとても大きいです。

問題になる134小節めからは、現在の楽器で指示通りのフォルテで演奏するとトランペットが出過ぎてしまい、バランスをとるのが難しくなりますが、オリジナル楽器ではトランペットとトロンボーンが近い響きになり、2つの楽器と言うより5本の同族楽器としての音色が出るようです。また、ホルンがナチュラルホルンであればさらに金管の響きの一体感が出るでしょうし、ティンパニーとともに絶対的な存在感というか、効果が現れると考えられます。ベートーヴェンが5番の第4楽章で教会の楽器であったトロンボーンを敢えて使ったのは、宗教曲で使われる楽器のイメージが強い、すなわち「死生観」を持つトロンボーンと勇壮なトランペット、ティンパニーを組み合わせる事で、自らに振りかかるさまざまな困難を乗り越え、「死」をも超越した世界への到達を目指す強靭な心があったからではないでしょうか。しかしこれは同時に教会の存在、つまり「神」の否定に繋がりかねない事でもあり、当時のヨーロッパ社会へでは今よりも大変なリスクを伴うものでもあったでしょう。それほどまでにベートーヴェンは音楽を通して強いメッセージを送り、今もなおその精神が受け継がれている、と解釈する事も間違いではないと私は思います。29日の村山市民会館で万雷の拍手を浴びた村川氏は、客席に向かい「山響は永遠です!」と述べ、会場はさらなる感動に包まれました。音楽は人を感動させるだけでなく、困難を乗り越え一つの事を成し遂げ、人生の目標に到達するという素晴らしい仕事をさせるだけの力があるものだ、と強く感じた瞬間でした。

Fukuoka

感動的な2日間の演奏会が終わりました・・・昨日は打ち上げに参加したものの、アルコールを口にせず今朝8時25分仙台空港発のANAに乗り、福岡に来ています。今日はオーケストラ協議会の西日本地方オケ会議が福岡であり、私は代表の立場として夕方からの会議に参加します。昨日の素晴らしい演奏会の事と、前回のベートーヴェンの続きは、山形に帰ってからじっくり記したいと思います。少しの間、お待ち下さい。

Beethoven

ゲネプロが終わりました。ベートーヴェンの5番は「運命」と呼ばれていますが、これはベートーヴェンが名付けたものではありません。「運命はこのように扉を叩く」と言ったとも伝えられていますが、その真偽も確実なものではないようです・・・。今では「運命」と呼んでいるのは日本くらいかも知れませんね。たしかに、音楽から伝わる内容は、いかにも「苦難を乗り越え勝利に向かう」的な雰囲気があり、70年代にヴィヴァルディの「四季」が大ブームになったように標題音楽を好み、そこに自己の感情を投影する事が多い日本人にとってこの「運命」は最も親しみやすい音楽なのかも知れません。

ご存知のように、ベートーヴェンはその生涯に9曲の交響曲を残しました。初期の1番、2番はハイドンやモーツァルトの影響が窺えますが、3番からその作風は大きく変わり、古典派のセオリーに収まりきらないスケールの大きな音楽になってゆきます。特に5番ではそれまで行われる事のなかったさまざまな試みを盛り込んであり、交響曲では初めて使われた3本のトロンボーン、コントラファゴット、ピッコロ(共に第4楽章から)が色彩感を大幅にアップさせていますし、第2楽章冒頭はヴィオラとチェロが旋律を奏でることで始まりますが、ヴィオラが重要な旋律を担当することも当時は大変珍しい事でした。
トロンボーンという楽器は、教会の中でオルガンと共に合唱の伴奏をする事が主要な役割で、オーケストラに登場するのはレクイエムなどの宗教曲のみでした。また、当時珍しい楽器のコントラファゴットは、室内楽や軍楽隊で低音パートを補強していましたが、第4楽章で登場するとチェロ、コントラバスに加わり、低音の音色をよりリアルなものにしています。ピッコロも第4楽章で数ヶ所ソロ(329小節〜332小節)がありますが、これも大変に珍しい事でした。

トランペット奏者から見ると、第4楽章で3本のトロンボーンが入ってきてからは、2本のトランペットが2オクターブのユニゾンを吹く中に3本のハーモニーが挟まるようなところが数ヶ所あり(こんな書き方は今でも誰もしません)、私が演奏する第2トランペットと第3トロンボーンが全く同じ高さの音を演奏している箇所がわずかですがあります。(134小節目〜140小節まで)
このように、ベートーヴェンが試みた数々の斬新な(当時としては先を行き過ぎていた感もあります)手法、あるいは徹底した拘りは、一体何を伝えようとしていたのでしょうか・・・。

(つづく)

Sibelius

3日間のリハーサルが終わりました。心配されたマエストロの体調も良好で、一人娘の千尋さんをソリストに、シベリウスのヴァイオリン協奏曲も冬の山形の風のように美しく響きます。そして、今日初めてリハーサルされたアンコール曲(ネタバレになるので曲名は伏せておきます)のきれいな事!この曲は2001年1月定期のシベリウスシリーズ最終回、つまりマエストロが山響の常任指揮者として最後に演奏した曲です。また、ベートーヴェンの5番は山響の第1回定期で演奏された曲・・・何か、因縁を感じます。リハーサル後、マエストロと会話できました。

佐藤:お疲れさまでした。いい音がしていますよ。
村川:みんな上手になったよね、自分は腕がうごかなくってさ・・。
佐藤:大丈夫、明日は絶対うまくいきます。
村川:そうか、よろしくね!

いよいよ明日はマエストロの故郷、村山市民会館で初日です。

Maestro

リハーサルが始まりました。やはり、良い響きがしますね・・・。ベートーヴェンの5番はいろいろな指揮者で数えきれないほど演奏しましたが、何度演奏しても奥深いというか、内容のとても濃い音楽です。村川氏は第1楽章冒頭の4つの音を何度も繰り返し、自分のイメージをオーケストラに示します。さすがに山響は反応が早く、リハーサル開始からわずか数分で「村川千秋の世界」が出現しました・・・それは、私たち山響の深層に刻まれ続け、長い間の眠りから覚めたような響きと言い表せるような・・・しかし、昔のような「何が何でも突き進む」という感じではなく、推進力を持ちながらも自然体で豊かな響きになっています。長い間の時の流れが、指揮者とオーケストラの音楽に対する気持ちをより自然なものにさせたのかも知れません。村川氏は、昨日のリハーサルが始まる前に、今回の演奏会が自身のファイナルだと述べましたが、長い時をかけて到達した芸術家としての境地がこれからも続く事を願わずにはいられません。

MUJ YSO

昨日は山響のユニオンの第32回定期総会がありました。どこの職場でも同様と思いますが、良い部分と改善しなければいけない部分とさまざまな面があります。ときには時間がかかることもありますが、オーケストラを取り巻く環境がさらに良くなり、演奏家がプロフェッショナルとしてより良いパフォーマンスができるよう、努力を続けたいと思います。

さて、今日から「村川千秋の世界」のリハーサルです。今回はヤマハの協力で、新製品のロータリートランペットYTR-948を使用します。これまでにも数回使用しましたが、最新の設計による精緻なメカニズムとバランスの良い響きは、内外から高い評価を得ています。オーケストラの中でどのような響きになるか期待が高まります!

Such days

新しい年がやってきたと思ったらもう1月も25日です・・・この一週間はとにかく忙しく、ブログの更新も滞ってしまいました。今年になっても忙しさと酒量は変わらないようですね・・・今日は生徒のレッスンやプライヴェートな用事を済ませ、明日から始まる多忙な日々に備えました。明日は山響のユニオンが毎年一度行う定期総会です。オーケストラ協議会の議長という全国の代表としての立場と、山響のユニオンの代表でもある自らの立場は、時に苦難もありますが、文化とオーケストラがこれからも発展し続けて行くためにもうしばらくの間頑張ろうと思っています。もちろん、演奏家としてベストを尽くす事は言うまでもありませんが・・・。そして明後日からは待望の「村川千秋の世界」のリハーサルが始まります。また、あの「楽しい音楽の時間」がやってくるんですね!