Requiem

毎日雪が降り続き、気温も低いですね・・・昨日は山形も真冬日で、空気感が北海道のようでした。

オーケストラは昨日からモーツァルトの遺作である「レクイエム」のリハーサルで、今日は明日に迫った本番のために仙台市青年文化センターでリハーサルです。指揮は「山響アマデウスコア」の音楽監督も務められている岩手大学教授の佐々木正利先生で、バロック音楽のスペシャリストとして国際的にも著名な先生です。佐々木先生が山響アマデウスコアの指導を担当するようになってから、合唱の質が大幅に向上したことに驚きましたが、とても音楽的で時代考証などに説得力のある指導ぶりは、先生の美しい声質と相まって素晴らしいものがあります。また、オーケストラもオリジナル楽器を用いての演奏で、この曲をオリジナル楽器で演奏するのは山響としても初めてです。

モーツァルトのレクイエムは、未完に終ったために弟子達を始めとするさまざまな作曲家や研究者によって補完されてきましたが、今回は1991年のモーツァルト没後200年に際して新たに編纂されたアメリカのピアニストで古楽の研究者としても著名なレヴィン氏による版を使用します。映画「アマデウス」では死の床に伏したモーツァルトがサリエリに口述筆記をさせるシーンがありますが、実際にはあのような事はなかったと言われています。第一曲目の冒頭、バセットホルン(クラリネット属の楽器で、通常より低い音域と憂いのある音色が特徴です)とファゴットが絡むように響く瞬間は、何度聴いてもその美しさに感動してしまいます。先ほど午後のリハーサルが終わり、夜は合唱も加わり仕上げにかかりますが、どのような響きが生まれるかとても楽しみです。

Recording

9日から今日まで、山響の初仕事が無事に終りました。9、10日は山形テルサでのレコーディングセッションで、シューマンの交響曲の収録をしました。ご存知の方も多いと思いますが、山響はクラシックのプロオーケストラとしては日本初となる自主レーベル「YSO Live」を立ち上げ、これまでに7枚のCDをリリースしています。この、「自主レーベル」というのがよく解らない、とのご指摘をよく受けますが、分かりやすく言うとCDの原盤権を山響が保有し、著作物としての権利と管理を自らが行う、と言う事です。実際のレコーディング作業は、日本有数のレーベルであるオクタヴィアレコードが行い、通常の流通ルートで販売されます。クラシックのCDは世界的に販売が落ち込みが進み、それに伴う業界再編も急速に進んでいて、かつてカラヤンとの共同作業で名を馳せた名門「ドイツグラモフォン」も、今ではライバル会社と持ち株会社を設立し、安定した経営に必死です。

山響のCDはライブ演奏の収録を基本としていますが、リハーサルや本番当日のゲネプロと呼ばれる通し練習も収録し、演奏に不具合が出た場合に備えます。編集を多くする事で本番の雰囲気が損なわれる、という意見も内外にありますが、私個人の考えとしてはレコーディングというのは映画を撮るのと同じだと思っています。映画もワンシーンごと細かく収録し、編集を重ねて一本のストーリーが完成します。たとえ編集が多くなったとしてもオーケストラの音楽がしっかりとでき上がっていれば違和感のない作品ができると私は考えています。

今回の収録は、今年後半頃にリリース予定のシューマンの交響曲全集に含まれるもので、第1番、第2番、第4番をオリジナル楽器で演奏します。第4番は飯森/山響の初CDとしてすでに発売済みですが、今回は初稿を使い新たに収録し直しました。前回の第4番はモダン楽器での演奏だったので、2種類の版によるCDができる事になります。第3番はモダン楽器での演奏ですが、演奏のコンセプトはオリジナル風です。今回は9、10日に第1番の収録と第2番、第3番の部分収録を行い、第4番の収録は来週17、18日です。全集ができ上がるのが楽しみですね。

Ginza/Shinjuku

今日は「小寒」・・・北海道上空では台風並みの低気圧が張り出しています。今日は夕方から行われるオーケストラ協議会の会議のために早朝からドライブです。山形自動車道は宮城川崎インターまで吹雪でしたが、そのあとは積雪するほどではありませんでした。会議の前に銀座に立ち寄り、新装されたヤマハ銀座店で楽器の選定を行い、その間お店の別館に併設されているアーティストサービス(管楽器アトリエ)で自分の楽器のメンテナンスを依頼しました。ヤマハ銀座店は2010年2月に長い間の工事を終え全面リニューアルされ、元の銀座7丁目に戻ってきましたが、新装されたビルはとてもアーティスティックなデザインで、新たなロゴのカラーであるブラックはピアノを、ゴールドは管楽器を表しているそうです。アーティストサービスにはヤマハの楽器を使用するようになってから頻繁に訪れ、調整やニューモデルの試奏などを行いました。最近は忙しく、新しくなってから初めての訪問ですが、私の担当のテクニシャンである青柳さんは素早く的確に楽器のコンディションを見抜き、調整を施し、使い慣れた楽器がさらに快適な吹奏感になりました。また、来週のレコーディングで使用する新しいナチュラルトランペットのマウスピースも自分に合うように調整していただき、使いやすくなりました。

これから新宿に移動してこのあとオーケストラ協議会に属する関東圏のオーケストラユニオンが集まっての会議です。議長の私としては全国の会議にできるだけ参加しなければならないのですが、スケジュールの事もあり難しい状況です・・・今日はどのような話しが聞けるか、楽しみです。

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The first job

今日から仕事始めです。この年末年始は期間が最短の休日ですね・・・今日のニュースでは小麦や油、コーヒーなどの値段が高騰していると伝えてました。2011年は「高騰の年」かもしれません。景気が回復しないのにこれでは厳しいです・・・

今日は私も仕事始めで、生徒のレッスンをしました。中でも受験を控えた生徒たちは、2月〜3月が本番の時期なのでこれからが正念場です。どの生徒の顔にも受験に向けた意気込みが漲っています。良い春を迎えるためにもぜひがんばって欲しいものです。

レッスンの後は来週からの仕事に向けて準備をしました。楽器を調整し、スコアとパート譜を調べ直し練習してゆきます。12月のハードな仕事で疲労した唇は瑞々しさを取り戻しています。コンディションも上々で、不安なく仕事に行けそうです。

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New Year holidays

天気予報では大雪と言われていましたが、まるで春が近いかのような元旦でした。久しぶりの休暇をのんびり過ごしています。昨日夜は行きつけのお店である山形市七日町の魅巣亭(ミスティ)で新年会・・・いつもお世話になっているマスターとご家族、常連の皆さんと楽しく過しました。また、元旦はマスターとそのご長男の誕生日でもあり、お祝いにミニライブで演奏しました。とても素敵なお店とご家族で、メニューも豊富なので一押しのお店です。

今日は初売りに・・・行きません。仙台のアップルストアの福袋には興味がありましたが、早朝から列を作っているのは明らかなので、そこに並ぶ元気はとてもありません。しかし、3万円の福袋にはその何倍分もの商品が入っているんですよね・・・

新年に入り、山響は9日から仕事ですが、いきなりレコーディングセッションで、以前収録した曲の修正と新たな収録を行います。モダントランペットとナチュラルトランペットを両方使うので、コンディショニングに気を遣います。そろそろ練習を始めなければなりませんね・・・

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Silvester

Silvester・・・ドイツ語で「大晦日」(聖ジルベスターの日)の意味です。最近は、「ジルベスターコンサート」などでこの言葉を聞いた事がある方も多いかと思います。英語ではNew Year’s Eveですね。

山響は26日が仕事納めで、「第9」の演奏も全くない年の方が多いので、日本のオーケストラの中では最も年末年始をゆっくり過ごせるオーケストラだと思います。群馬交響楽団は元旦午後にニューイヤーコンサートを行いますし、今日も恒例のカウントダウンコンサートが飯森さんの指揮でみなとみらいホールで開かれています。まあ、50人足らずのオーケストラが交代勤務なしに年間150回以上のコンサートをこなす訳ですから、年末年始の休暇はかえって必要と私は考えています。「第9」も数年ごとに演奏する方が新鮮な気持ちでアプローチできますし、あのような内容の濃い曲をを12月だけで何度も演奏する事には精神的な負担が大きいと私個人としては感じています。

今年も、というか例年以上に多忙な年でしたが、一番の出来事はやはり3月の入院、手術でしょう。決して体調管理を怠っていた訳ではありませんが、40代後半からの体調の変化にもう少し注意を向ければ良かったかも知れません。しかし、2月に発病、3月に入院して以来健康についてよく考えるようになりましたし(でも、今年も良く飲みました)、退院後も今日まで良好な予後を過ごせた事は大変良かったと思います。オーケストラ奏者としては、今年も多くの方々に支えられ良い演奏を多く行えたと思いますし、山響もまた一つあらたなサウンドを身に付けた、と言えるでしょう。また、個人としても指揮活動や教育活動でも実り多い一年でした。来年の今日もさらに良い一年だった、と振り返る事ができるよう、明日からまた新たな気持ちで音楽に向き合いたいと思います。今年お世話になったすべての皆様に心より感謝するとともに、来年が平和で良い年になるよう切に希望します。

ありがとうございました!

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20th Anniversary

今年も残すところ今日と明日・・・いろいろな事がありましたが、今日はこれを書いておきたいと思います。

私は1986年からヤマハのトランペットで演奏活動を続けていて、現在も最新のYTR-9445CHS、9335CHSを中心に7台のヤマハトランペットを使用しています。ヤマハが管楽器の製作を本格的に始めたのは1965年頃で、トランペットの世界では1920年代から「標準器」として使われ続けてきたアメリカ製の楽器(私も学生時代はそれを使っていました)を凌ぐ楽器作りを目標に、プロジェクトが始まりました。始めは暗中模索に近いような状態でしたが、製作者のさまざまな苦労と時間をかけた戦いは、しだいに成果を表し始めます。そして、1970年頃に、初めてプロフェッショナル向けのトランペット「カスタム」シリーズを発表し、世界中のプレイヤーから注目されるようになります。さらに、1973年から並行してスタートしていたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団からの依頼、いわゆる伝統楽器の新製作のための研究も通常のトランペット製作へ大きな効果を与え、1980年代に発表された楽器は前述の「標準器」と並ぶ高い評価を得ます・・・

1986年、山響に入って3年目の私は、学生時代から使用していた「標準器」が老朽化した事から、それに代わるものを探していました。私の楽器は北海道時代の先生から受け継いだいわゆる「オールド」もので、製作されてからすでに25年近く経っていて、金管楽器としてはそろそろ寿命でした。最初は同じメーカーの新しい楽器を試しましたが、昔のサウンドとは違う響きで、私の感覚に合うものではありませんでした。そうした中、当時のヤマハスタッフから新型トランペットのテストと評価を依頼され、試作器の提供を受け試奏してみたところ、私の楽器がリニューアルされてきたような強い衝撃を感じ、すぐに自分の楽器を購入し、ヤマハのトランペット製作にも協力する事になり、現在に至っています。

1990年、ヤマハは全く新しいコンセプトに基づく新たなトランペットを発表します。「Xeno」(ゼノ)と名付けられたその楽器は、世界中のトランペット奏者から絶賛をもって迎えられ、ヤマハが会社を挙げて長年にわたり取り組んできた「標準器」を超える楽器が遂に誕生します。その楽器はさらに改良を加えられ、「現代の名器」として揺るぎない地位を確立します。そして今年2010年、その「Xeno」は誕生20周年を迎えました。それを記念してヤマハのホームページ内に特別に設けられたサイトがあり、これまでプロジェクトに携わってきた世界中のプレーヤーが祝福のメッセージを寄せています。もちろん、私のメッセージと写真もあります。1965年からこれまで、多くの人々とプレイヤーが協力して目指してきた大きな夢は、素晴らしい形で実現したのです。今年を振り返る時、私の音楽人生をいつも支えてくれたヤマハトランペットとそれに携わった全ての方々に心から感謝と祝福の念を持たずにはいられません。

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http://jp.yamaha.com/products/musical-instruments/winds/trumpets/xeno_special/

Tsuruoka

山響のオーケストラでの仕事納めは昨日でしたが、今日は小学生を対象としたクリニックの講師として同僚たちと鶴岡市に行ってきました。このクリニックは毎年この時期に行われていて、小学校の吹奏楽、金管バンド、それにジュニアオーケストラのメンバーも加わり、金管奏法の基本を中心にレッスンしてきました。昨日の白鷹町でのコンサート同様、オーケストラの地域活動として大切な行事の一つですね。明日は酒田市民会館で山形6中のアンサンブルコンテスト山形県大会に向けたリハーサルをレッスンするために酒田に向かいますが、それにしても毎日続くこの雪はいつまでつづくのでしょうか・・・

Shirataka

クリスマスイブから降り続いた雪は、街一面を白く彩ります・・・昨日は山響のリハーサルの後、開場10周年を迎えた山形駅西口の霞城セントラルで「けやきの森ブリティッシュブラス」のクリスマスコンサートを指揮しました。寒い中たくさんの方に聴いていただき、演奏もとても良かったと思います。その後は打ち上げ兼忘年会・・・プレイヤーのみんなと楽しく過ごしました。

今日は山響の仕事納めのコンサートで、白鷹町での公演でした。会場までおよそ30キロ弱のドライブは、きれいな雪景色とタイヤから伝わる雪と氷の感触が楽しかったです。この演奏会は、実行委員会の方々の献身的な努力で長い間続けられているもので、定期演奏会、スクールコンサートと並び山響にとってとても大切なコンサートです。終演後には実行委員会の方々と楽員、事務局員による交流会が行われ、すでに友人となって久しい白鷹町の優しい方々と寛いだ時間を過しました。また、本番前には私が山形に来て初めて吹奏楽の指導に行った宮内高校(現・南陽高校)の卒業生が4人で面会に来てくれて、懐かしく談笑しました。当時私は26歳、生徒たちは15〜18歳で、お互い本当に若かったです・・・あれからかなりの時間が経ちましたが、指導していたときの記憶は鮮明に残っています。音楽を通して知りあい、時間が経ってもまたコンサートを聴きに来てくれて再会できるなんて、とても嬉しい事です。これは多忙だった今年の最後に音楽の神様からもらったプレゼントなのかも知れませんね。