外は雪・・・ようやくクリスマスらしくなってきました。といっても何かと忙しい事には変わりません。敬虔なクリスチャンなら理解できないでしょうね・・・
昨日は山形市民会館で井上あずみさんをゲストに・・・というか、あずみさんのコンサートに山響が出演したといった方が正しいかも知れません。彼女は年間100回ほどのコンサートを全国各地で展開する他、NHK「みんなのうた」のタイトルヴォーカルも務めていて、その優しい声に接した方も多い事でしょう。プログラムは久石 讓さんのいわゆるジブリ映画の曲がほとんどでしたが、一度耳にしたら忘れられないメロディーを作る事は並大抵ではありません。本来、久石さんは現代音楽のジャンルでも最先端をゆく作曲家ですが、本当に才能あふれる方だと思います。井上あずみさんも、彼女にしかできない独特の美しさで言葉の繊細な表情を歌います。演奏しながら癒されるようなコンサートでした。
また、昨日は久しぶりの山形市民会館でのコンサートで、かつてこの場所は村川千秋さん、渡部勝彦さん、黒岩英臣さんと歴代のマエストロによってサウンドをクリエイトしてきたホールで、山形県民会館と共にいわば山響の原点ともいえる会場です。10年前に山形テルサがオープンしてからは定期公演を開催する事はなくなってしまいましたが、ホールに響くサウンドは往時の山響の響きを思い出させてくれます。私にとっても1番奏者時代のマーラー5番や展覧会の絵、村川さんとのシベリウス、黒岩さんとのブラームスなどは忘れられません。もちろん、住み心地のよい「新しい家」が現在の本拠地ですが、これからの歩みを夢見る時、かつて暮らした場所で自分を見つめ直す事も時には必要なのかも知れません。
更新が滞りがちです…時間の流れが早過ぎますね…
土曜日の定期公演は、ウォルトンの凝縮された響きをオケ全体で表現した感がありました。藤岡さん、そしてブルッフの協奏曲で素晴らしい演奏をした二村さん、さらに最後まで集中して聴いて下さったお客様…皆さんに感謝です。
昨日は私が常任指揮者を務める山形市役所ウィンドアンサンブルの忘年会でした。楽しかったけど飲み過ぎですね…
今日はMUJオーケストラ協議会の会議のため、空路名古屋に来ています。私はこの協議会で7年にわたって議長を務めています。すぐに成果が現れる事ばかりではありませんが、この業界と日本の文化が少しでも良くなればと努力を続けています。演奏とユニオン活動を並行してゆくのは困難な面もありますが、その経験は自分にとってプラスになっていると思います。明日は山形に戻りリハーサルです。どんな場面でも怯まずに前に進めれば、と感じています。
昨日までのリハーサルが終わり、今日は第209回定期公演の初日で、酒田市民会館に来ています。今回メインで演奏するウォルトンの交響曲第一番は、複雑なテーマが入り組んでいて、ハーモニー的にも20世紀初頭の音楽らしい個性があります。山響には三度目の客演になる藤岡幸夫さんは、エネルギッシュな指揮でオーケストラをドライブし、楽員も全力で応えますが、とにかく藤岡さんは元気!15日のリハーサル後には山響の忘年会があり、彼も参加してくれましたが、ノリノリで過ごしてくれて、本当に楽しかったです。また、ブルッフの協奏曲でソリストの二村英仁さんも、美しい音色で知的な演奏が素晴らしい!これからまもなく本番ですが、いろいろな楽しみ方ができる演奏会になると思います。ご期待下さい!
今日から客演指揮に藤岡幸夫さんをお迎えして、17、18日に行われる第209回定期公演のリハーサルが始まりました。相変わらずノリと流れの良い指揮ぶりは、山響からクリーンな響きを引き出しています。ウォルトンの交響曲を始めとするブリティッシュレパートリーは日本ではそれほど演奏される機会がありませんが、藤岡さんのリハーサルぶりからは今回も良い本番になる予感が漂います。
さて、ベートーヴェンの9番の話しでしたね。私たち日本人は一年ごとの区切りをとても大切にする民族です。借金や争いごと、良い事や悪い事全てを大晦日までに片づけて、元旦からは全てが新しくなったように振る舞う事を好みます。12月のことを「師走」と呼びますが、この一ヶ月は多くの方々にとって最大のイベントとされるクリスマスもあり、景気は良くないものの盛り上がりに遅れをとってはならぬとばかりに買い物をし、誰もがパーティーの主役になり切ります・・・そして、矢の如く過ぎていった一年を振り返り、「今年もあっという間だった・・・」とか言ってコタツでテレビを見ながら年末ジャンボ宝くじの当選を夢見たりします。そういう「一年の総決算」的なシチュエーションには一大叙情詩で大河ドラマ的なベートーヴェンの9番がピッタリハマるのかも知れません。シラーの歌詞を知らなくてもベートーヴェンが苦しみの中でこの9番を作曲した事も忘れてしまっても、全曲にわたって貫かれている「苦悩を伴った前進、そして訪れる歓喜」に自らの人生を重ね合わせる人は多いでしょう。この曲を演奏する時、客席のお客様の表情はまさにそんな雰囲気に満ちています。今日も日本のどこかで9番が演奏されていると思いますが、多くの人々に力を与えてくれるベートーヴェンの音楽のエネルギーはまさに「世界遺産」のようなものだと思います。Freude!
昨日は鶴岡市と東京江戸川区の文化交流として14年にわたって続けられている合同の合唱での「メサイア」の演奏会でした。よく練習された事が伺える素晴らしい演奏でした。オーケストラも良い響きを出していたと思います。
12月になると日本ではベートーヴェンの「9番」(あえて「第9」とは言いません)が頻繁に演奏されます。これは戦後の事で、財政的に困窮していたあるオーケストラが年末の資金難を乗り越えるための苦肉の策として考え出したのが始まり、と言われています。この「9番」は、ベートーヴェンの交響曲の中でも極めて個性的で、当時の交響曲としては異例に長い演奏時間、「5番」と「6番」で使われたトロンボーンとピッコロ、コントラファゴットなどが使われているなど巨大な楽器編成、それに4人の独唱者と混声合唱、そして不屈の精神で自由を唱えたフリードリッヒ・フォン・シラーのテキスト・・・この「歓喜」というメッセージはフランス革命以降に広まった伝統や因習からの「解放」と「自由」を意味するものと解釈できますが、このような政治的、社会的なメッセージを音楽に盛り込む事も当時としてはほとんど例がありません・・・これは交響曲ではなく、カンタータと言った方が良いと思います。
このように、大変特別な意味を持つこの曲が12月という期間限定(?)でこれほどたくさん演奏される国は日本以外にありません。これは、シラーやベートーヴェンの哲学に共感しているというよりも、日本人独特の観点によるものだと私は考えています。(つづく)
A late riser・・・12月に入って遠隔地での公演や泊まりがけの仕事が減ったので、つい夜更かしをしてしまいます。もっとも、多忙な時期でも睡眠時間は5〜6時間がほとんどで、それにも慣れたかと思っていましたが、やはり体は正直ですね、ゆっくり眠れる環境になったら朝が辛くなりました。また、お酒を楽しんでいてもある時点から電源が落ちたように眠ってしまう事も時々あり、困ったものです・・・
今日からは12日に鶴岡市で開催される「メサイア」のリハーサルです。夏にもソロパートを演奏しましたが、今回は定席のセカンドです。演奏する楽章は全体のうちごく僅かですが、休みの楽章の間は山響の仲間の演奏を楽しもうと思います。
今から30年前の今日、ニューヨークでジョン・レノンが射殺されました。この日、武蔵野音楽大学3年生だった私は、あと一週間に迫った大学のウィンドアンサンブルの定期演奏会にむけたリハーサル中で、演奏中に友人が「ジョンが撃たれた!」と言ってリハーサル室に入ってきた時、私は訳がわからず「ジョンって?」と聞き返した事を思い出します・・・
私は小学生のころからビートルズが好きで、ピアノのレッスンで練習していたモーツァルトやハイドンに飽きると、「Let it be」や「lady Madonna」のようなピアノパートのある曲を弾く事が楽しみでした。また、音大生の頃買ったピッコロトランペットで最初に吹いた曲はクラシックではなく、「penny lane」の間奏で出てくるピッコロトランペットのフレーズでした・・・ビートルズの音楽はほとんど知っていましたが、レコードを買うお金がなかったので、ラジオにかじり付いて普及し始めたばかりのカセットテープレコーダーにせっせとエアチェック(懐かしい言葉!いまではダウンロードですよね)していました。1970年、ビートルズは解散してしまいますが、幾度となく再結成の話が出ては消え、レコードも売れ続けてゆきました。日本でも財津和夫やオフコースを中心にビートルズの影響を強く受けたアーティストがたくさんいますし、レノン=マッカートニーはジャンルを超えた20世紀における偉大な作曲家として後世に残り続けるでしょう・・・
ジョンの死後、ビートルズの再結成は完全にあり得ないとされましたが、1994年にジョンが「ロックンロールの殿堂」に入った事がきっかけでオノ・ヨーコとポール・マッカートニーは「歴史的和解」を果たします。この時、ヨーコがポールに一本のカセットテープを手渡します。これは1977年頃にジョンが自作の曲をデモテープとして残したもので、このテープをデジタル加工し、その上にポール、ジョージ、リンゴが事実上の再結成といえるセッションを行い、翌1995年にビートルズとして25年ぶりの新曲「フリー・アズ・ア・バード」として発表されます。そして、この曲を含むビートルズの総括とも言えるプロジェクト「アンソロジー」が3部作にわたって発表され、彼ら3(4)人は解散後長い時を経てようやく自らの全てを語り出します。
ジョンがもし生きていれば70歳・・・ギターの名手だったジョージ・ハリソンもガンに侵され2001年11月に亡くなり、ポールとリンゴ・スターは今も元気に音楽活動を続けています。今では彼らのアルバムは全て最新のテクノロジーでリマスタリングされ、素晴らしい音質で聴く事ができますし、長らく待たれていたiTunesでの配信もついに始まり、ビートルズの音楽を初めて聴くファンも増える事でしょう。天国のジョンもジョージと共にきっと安心して過ごしていると思います。
ホームページを開設してから初めて表紙の写真を替えました。前から考えてはいたのですが、手を出せずにここまで来てしまいました。これからはもう少し工夫してゆきたいと思います。
今日は、昨日から山形市内で開催されていた「山形輸入車ショー」に行ってきました。このイベントも長く行われているものですが、私が山形に来た1983年は輸入車を扱うディーラーはほんの数社でした。それが今ではほとんどの輸入車ディーラーが個性的な車を販売するようになり、隔世の感があります。私は30年近くもフォルクスワーゲンに乗っているので、ドイツ車に一番関心がありますが、アルファロメオやフィアットなどのラテン系自動車も、その美しいシルエットに心惹かれます。現在使用しているフォルクスワーゲン・ゴルフは2004年に購入し、現在28万9千キロまで距離を伸ばしました。おそらく、来年3月頃までには30万キロの大台に達する事が確実で、1983年に初代ゴルフに乗り始めてから累計で100万キロを達成します。現在も車のコンディションは大変良く、消耗部品以外の「故障」は全くありません。このまま40万キロを目指しても良いのですが、30万キロを機会に一線を退かせようかとも考えています。写真は目下のところ私が一番のお気に入りにしているゴルフGTIです。これを手に入れる事ができれば最高ですね・・・また、今日は私が山形に来た時から長い間お世話になっていた山形ヤナセのスタッフの方々と久しぶりに再会する事ができ、皆さんも私の事を良く覚えていただいて、昔話に花が咲きました。現在はトヨタ系のフォルクスワーゲン山形中央にお世話になっていますが、会社は違っていてもどの方々も本当に自動車が好きで、誇りをもってお仕事をされている姿が印象的でした。
Das Auto ist herrlich!
昨日は12月にしては生暖かいというか、変わった気候でしたね・・・夜は風がひどく、台風のようでした。地域によっては大きな被害も出たようで、心配です。これからの天気はどうなるのでしょうか・・・
今日は山響はオフでしたが、クリニックやレッスンがありました。オーケストラの演奏がお休みの日はほとんどこのような状況ですが、今日は失敗をしてしまいました・・・生徒とのレッスンの予約時間を私が間違えていて、あやうく生徒を置き去りにするところでした。少し遅れてレッスンはできましたが、一年の疲れが出たのでしょうか、それとも歳のせいなのか・・・気をつけたいものです・・・
December…12月になりました。今日は今頃にしては暖かく、半月ほど戻ったようでした。今月はスクールコンサートが4回、鶴岡でのメサイア、209回定期、市民会館でのポップスコンサート、そして年内最後は白鷹町でのハーモニーコンサートです。詳しくはサイト内で情報を更新してゆきますが、25日には霞城セントラルでけやきの森ブリティッシュブラスのコンサートもあります。
他にも会議やレッスン、アンサンブルコンテストに向けたクリニックなどがたくさん予定されています…また今年も年賀状書く時間が…忘年会もありますね…体調崩さないよう、一年の締めくくりをしっかりしたいですね。
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