山形交響楽団 第50回定期演奏会
1985年8月1日(木)19:00 山形市民会館
指揮:渡部勝彦 ピアノ:武田真理
シベリウス:悲しきワルツ
リスト:ピアノ協奏曲第1番
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(ハース版)
創立から13年、50回目の定期演奏会です。この日演奏された「ロマンティック」が山響のブルックナー初演になりました。当時は定期演奏会前の4日間をリハーサルに充てていて、初めの2日間は団員のみで、3日目からはエキストラが合流し行っていました。また、終演後は夜行列車(山形新幹線は1992年から開業)でエキストラに帰京していただいたり、今とは隔世の感があります。山響はこの頃から組織も演奏も少しずつ、ほんとうに少しずつですが成長の度合いを高めてゆきました。
この演奏会は7月31日に長井市、8月1日に山形市、翌2日に酒田市と3日連続の公演で、猛暑と相まってとにかく消耗した事を覚えています。また、「ロマンティック」を10型(今日の山響と同じ編成)で演奏したのは当時の山響が最初ではなかったかと思います。金管はメンバーが数人退団し、新たなメンバーが決っていなかったためにエキストラを多く起用しましたが、良いアンサンブルだったように記憶しています。山形市民会館は県民会館ほどではないにしろ、デッドなホールで、ボリュームいっぱいの金管を効果的に使うため、初めてひな壇無しで全員フロアで演奏しました。そして私にとって忘れられないのは、大学時代の恩師である福井 功先生(当時、NHK交響楽団で現役のピークを迎えていました)が第3トランペットとして出演された事です。先生には若手の奏者をリクルートするつもりでコンタクトしたのですが、「私が行きます」と言われ、とても驚き、感激した事がつい先日のようです。先生は、N響以外のオーケストラに出演するのは、1963年に読売日本交響楽団が設立され、手伝いに行った時以来だそうで、山響のようなローカルオケへの出演を快く引き受けていただき、また、大学時代のレッスンを具現化したかのような説得力ある演奏を示していただいた事は忘れられません。リストの協奏曲では私が1st、先生が2ndと、大変貴重な体験もでき、充実した1週間でした・・・・。
2週間ほど前から頭痛が治まらず、頭部全体に圧迫感も出てきた事から、脳疾患の可能性を確認するために頭部MRI検査を受けました。
MRIというのはMagnetic Resonanse Imaginng(磁気共鳴画像装置)の略で、磁気を用いて体の内部をスキャンする高性能な機械です。以前から使用されているCTよりも精緻な画像が撮影でき、病変部の確認レベルも高度に行う事ができます。
今回は山響の熱心なファンであり、ご自身もフルートを演奏されている酒田在住の脳神経外科医、黒木 亮先生が開業している「くろき脳神経クリニック」で受診しましたが、広く清潔で落ち着いた院内は、そこに身を置くだけで頭痛が治りそうな雰囲気がありました。また、待合室にはiMacとMac miniが置かれ、自由に使えるようになっていて、待ち時間を楽しく過す事ができます。それに本格的なコンサートが開催できるスペースもあり、グランドピアノとチェンバロ(!)が設置してありました・・・驚きです。黒木先生はこのスペースでさまざまなコンサートを開催していて、患者や地域の皆様にとても親しまれているようです。
受診の結果は脳には異常がなく、血流も正常で一安心でした。念のため頚動脈をCTスキャンし、血管内部の状態を確認しましたが、こちらも合格。
ただ、食事の工夫や運動などで代謝を良くしたり、体脂肪のレベルを改善することはこれからも必要と感じました。結局、頭痛は極度の肩凝りが原因だったようです。最近、ボディケアしてなかったし・・・・・まあ、深刻な病気の可能性はめでたく否定されましたが、健康についていろいろ考えさせられた数日でした。中高年を迎えたら(35歳からですよ!)脳の検査を受けた方が良いですよ!検査はくろき脳神経クリニックをおすすめします!
山形交響楽団第47回定期演奏会
1985年1月29日(火) 19:00 山形市民会館
指揮:村川千秋 ピアノ:弘中 孝
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2版
ブラームス:交響曲第4番
私にとってこの演奏会は、村川氏との最初の定期演奏会で、入団以降は音楽教室などではその指揮で演奏していましたが、定期は初めてで、村川氏も1983年4月27日の定期演奏会以降、一年以上ドイツに留学してしまったために定期会員の皆様にとっても久しぶりの村川/山響の組み合わせでした。
村川氏の最初の印象は、とにかく指揮が独特で、どのタイミングで音を出し始めれば良いのか分からずに一人飛び出したりして顰蹙を買ったことも時々あったように思います(山田一雄先生を思い出しました)また、渡部氏が指揮する時と比べてオーケストラが出すサウンドが全く違い、厚くうねるような弦セクションと色彩感あふれる木管セクションの響きは今も耳に残っています。特にラフマニノフの重厚さとブラームスの響きの透明感は、当時の村川氏が得意とした手技だったと言えるでしょう。
村川氏とはこれ以降、2001年に常任指揮者を退任されるまでたくさんの演奏会を行い、特に晩年のシベリウスチクルスでは彼の芸の集大成を見せてくれました。また、私がユニオンの代表を長く務めていることから、数えきれないぐらいの対話(世間話、会談、交渉、口論、喧嘩などすべて)を重ね、共に山響の発展をめざして力を尽くしてきた事は素晴らしい思い出です。来週、久しぶりに彼が戻ってくるのは大変意義深く、最後に客演されたのが2002年1月の山響創立30周年記念特別演奏会でしたが、それ以降現在までメンバーも大きく変わり、今の山響を彼が指揮したらどんな響きがするのか興味は尽きません。本当に楽しみですね!
山形交響楽団第44回定期演奏会
1984年5月10日(木)19:00 山形市民会館
指揮:渡部勝彦 チェロ:矢島三雄
ブリテン:シンプル・シンフォニー
本間正雄:チェロ協奏曲(初演)
ストラビンスキー:ハ調の交響曲
今から25年前、私が山響に入団して最初の定期演奏会です。当時は年間5回の定期演奏会を山形市民会館を主に開催していて、指揮者は1972年の創立から音楽監督兼常任指揮者を努めていた村川千秋氏から、1984年4月より渡部勝彦氏に交代し、村川氏は正指揮者となり山響は新たな時代に突入しました。渡部氏は会津若松の出身で、東京音楽大学で村川氏に指揮を学んでいます。その後村川氏と同じくインディアナ大学で研鑽を積み、日本に帰国してすぐ山響の常任指揮者に就任しました。私はこの年から山響に入団し、学生時代からの念願であったプロオケ奏者としての生活をスタートさせました。渡部氏は比較的モダンなレパートリーを好み、この第44回定期のプロも当時としては新しく感じたよう記憶しています・・・・チェロ協奏曲を作曲した本間氏は当時宮城教育大学の教授で、ソリストの矢島氏は山響の独奏首席チェロ奏者として弦楽器セクションはもちろん、山響全体に強い影響力を持っていました。その厚みのあるチェロの響き素晴らしいテクニック、そして数々の修羅場をくぐり抜けてきた古き良き「楽隊」のオーラは強烈でした。山響のサウンドは今とは全く異なり、どちらかというと粗削りではあるものの、メンバーも若かったことからとにかくエネルギーがあったように思います(今のエネルギーとは異なりますが)ストラビンスキーでは複雑なリズムへの対応が大変でしたが、ようやく念願が叶ってプロオケ奏者になれた喜びと初舞台の興奮で夢中で演奏したことが昨日のように思い出されます。当時のメンバーで現在も残るのは私、トロンボーンI氏、ホルンY氏、打楽器M氏、クラリネットG氏、フルートT氏を始め9名です。この年はサラエボ(2月)ロサンゼルス(8月)オリンピックがあり、東西冷戦(ゴルバチョフはまだ現れません)の末期です。1ドルは230円ほどでした・・。
11月に入って、始めは寒かったものの、ここ数日は10月のようですね。3日の芋煮会の寒さはどこに行ったんでしょう・・・。
昨日の新宿での会議と今日の酒田往復で、2日間で約1000キロ近く走ってしまいました。月山道路も雪は無く、鮮やかだった紅葉の色合いは冬の始まりとともに雪を迎えるために少しずつ変化しているようです。もう少しすると一面に白い風が吹くのでしょうね・・・・。
来週はいよいよ記念すべき200回定期です。明日からは200回定期記念ブログとして、私が入団してから印象に残っている定期の思い出などを記して行きたいと思います。ご期待下さい。
今日は米沢市で市民文化会館の会場40周年の記念公演があり、モーツァルト、フォーレなどの作品と、佐藤 真氏の名作で自身のオーケストレーションによる合唱組曲「蔵王」のオーケストラ版を地域の方々を中心とした合唱団と共に演奏しました。近年は米沢市内に新設された「伝国の杜」コンサートホールでの演奏が多くなり、長年にわたって使ってきた文化会館での演奏は山響にとっても久しぶりです。さすがに40年前の設計で、しかも多目的ホールとしての音響は、最新の施設と比べようもありませんが、ホールの職員、スタッフの方々はきちんとしたお仕事をされていて、ステージでの演奏が少しでも楽になるようにとの心遣いが伝わってきます。本番も合唱団ががんばって良い演奏だったと思います。こういう演奏会がもっと増えても良いですよね。
終演後は上山に移動し、今月29日に予定されている「けやきの森ブリティッシュブラス」のコンサートのリハーサルを行いました。このバンドはいわゆるイギリススタイルの金管バンドで、10年以上に渡って活動をしており、私も創立当初から指揮者として携わっています。メンバーは50代から高校生まで幅広く、山響ホルン奏者の岡本和也さんもソロテナーホーン奏者として参加しています。29日はこのスタイルのオリジナル曲やポップスなど約1時間半のプログラムを演奏します。吹奏楽とは異なる金管の響きをぜひ聴いてみて下さい。詳しくは「けやきの森ブリティッシュブラス」のサイトをご参照下さい。
明日は新宿のMUJ本部でオーケストラ協議会の会議です。明後日は酒田で山響の本番・・もうしばらくは移動が続きます。
遂にやりました!7年ぶりの日本一!
今日は巨人ファンとしては今年最高の日ですね! かつてのV9以来となるリーグ3連覇と21回目の日本一!原監督はWBCの優勝から今日まで大変な重圧があったと思いますが、若手とベテラン、移籍組からなるチームを率いた力量は、歴代の監督と比しても名将と呼ぶにふさわしい仕事ぶりと言えるでしょう。今年のWBC日本代表チームの監督に就任したとき「原はまだ若い」とか言われていましたが、V9時代の名監督である川上哲治氏は、1974年に勇退し長嶋茂雄氏に監督の座を譲った時点で54歳でしたから、51歳の原監督はまさに働き盛りでしょう。チームも数年前はFA選手をかき集めて、つながりの悪いラインナップが続いた時期もありましたが、坂本や亀井などをはじめとする若手と育成選手もいつの間にか成長し、長期的な視野に立ったチーム作りが実現したシーズンだったと思います。NPBはJリーグ人気やTVの多チャンネル化、またMLBの人気などの影響で、視聴率や観客動員数が減少していると言われていますが、北海道に根を下ろし絶大な人気を誇る日本ハムや、私たちのチームである東北楽天、また古くから地域に愛されている阪神や広島など、NPBも地域密着型が成功しているようです。日本では歴史の長いプロスポーツである野球が、これからも発展し続けて多くの人々をますます楽しませて欲しいと思いますし、私の大好きな巨人がさらなる黄金時代を築いてくれると感じた一日でした。チームの皆さん、全国のファンの皆さん、おめでとうございました!
今日は仕事が終わった後、冬に備えてタイヤ交換を済ませました。例年よりは少し早い時期の交換ですが、タイミングを誤ると困りますよね(+_+)
この後も庄内や置賜地方、また東京から深夜に戻る事などが続くので、安全を確保しておくことは大切です。
さて、今日は日本でもアメリカでも野球のボルテージが大変高かった一日でした。ニューヨークではヤンキースが9年ぶりのワールドチャンピオンに輝き、松井選手は6打点をたたき出す大活躍でシリーズMVPを獲得、東京では日本シリーズ第5戦で巨人が劇的なサヨナラ勝ちで7年ぶりの日本一へ王手をかけました。私は子供の頃から野球が大好きで、小学生の頃は今の「スポ小」のようなクラブに入っていて、キャッチャーで4番または5番を打っていました。
当時は高度成長のまっただ中で、巨人は王、長嶋の全盛時代であり、1965年から1973年まで連続して日本一であり続けた今では考えられない時代でした。
私は幼稚園の頃ピアノを習い始めましたが、当時は音楽家を志していたわけではなく、明けても暮れてもボールを追いかける典型的な野球小僧でした。
今ではボールを持つ事はありませんが、時々バッティングセンターでストレス解消しています(^_^;)・・・・
野球選手としての現役生活は、オーケストラ奏者と比べてはるかに短く、40歳を超えてプレイする事ができる選手はごく稀です。彼らの一瞬に掛ける集中力の凄さは、一日一日を全力で駆け抜け、少しでも多くの時を輝かしく過したいとの強い思いがあるからなのでしょうか・・・松井選手の大舞台でも終始クールな雰囲気と、亀井、阿部両選手の強靭な集中力は、素晴らしかったですね! そしてスタジアム全体でゲームを楽しむ雰囲気がまた良かったです。
きっと残り2試合も最高のパフォーマンスを見せてくれる事でしょう。でも私は巨人ファンです。土曜日で決めて欲しいです!
昨日の山形市は平年より13日早い初雪を観測し、この秋1番の寒さでしたが、予定されていた山響恒例の芋煮会は滞りなく盛大に行われました。例年ならこの時期はもう少し楽な気候のはずですが、今年は11月1日から3日までの間に寒波が集中してしまいました。山響メンバーと山響ファンクラブ、仙台フィルハーモニー管弦楽団ファンクラブ、それに滞在中の日本フィルの友人たちなど約30人ほどが最高気温6℃(!)の寒さの中、芋煮やバーベキューなどを談笑しながら楽しみました。さすがに冷えたビールはあまり人気がありませんでしたが、温めた日本酒や焼酎のお湯割り、お茶なども用意したので、冷えた体を温めながら過しました。芋煮を楽しんだ後は、私と日本フィルの2人、仙台フィル事務局M氏の4人で冷えた体を温めに朝日町の「りんご温泉」に行きました。湯船に浮かぶリンゴが有名なこの温泉は、通常よりもやや高目の湯温で、冷えきった体を温めるには最適です。
友人たちも山形の食と自然、そして最後は温泉と晩秋の山形をすっかり満喫したようで、「ぜひまた来たい!」と大喜びでした。
11月に入り、寒さが本格化してきました。今日はオフを利用して観光のため昨日から山形入りしている日本フィルの友人たちと山寺に紅葉を見に行ってきました。気温は6度ほどと、かなり寒かったですが山登りにはちょうどよかったと思います。中国人のツアー客をはじめ、予想よりも賑わいを見せていた登山道を、ゆっくりと紅葉を楽しみながら上っていきました。私はこれまでにも何度か山寺を訪れた事がありますが、紅葉の季節は初めてで、自然の美しさと景色の素晴らしさに感動しきりでした。友人たちもとても感激していたようです。
午後は朝日新聞から山響についての取材を受け、定期公演が200回を数えるまでになった山響の現状と展望についていろいろ話をさせていただきました。先週は河北新報からも取材を受け、これまでのマスコミや出版社などとは異なる視点からの山響と日本のオーケストラが置かれた状況について、山響の一員として、またオーケストラ協議会の議長としての両面の立場から話ができた事は貴重な機会でした。
友人たちは温泉でリラックスしている頃です。これからまた山形の夜を楽しむ事でしょう。
P/S
明日は山響恒例の芋煮会です。天候が心配・・というか最悪かも知れませんが、中止はありません。参加される皆さん、防寒の備えを!!
Hiroshi Sato Offizielle Website