9月も明日で終わり、美しい10月がやってきます。私は一年の中でも10月が最も好きで、紅葉やさまざまに実る季節の花と果実、そして寂しげな空気感がとても好きです。車から紅葉を見るのも良いですが、夕暮れのころ、肌寒く漂う風と共に赤く染まる空を見ると不思議と心が落ち着きます。なぜそうなのかは自分でもよく分かりませんが、この雰囲気は好きですね・・・。
10月は私たち音楽家にとっては多忙かつ充実した季節です。大小さまざまな演奏会やツアーを美しい季節のなかで過せる事は、毎年の楽しみです。明日からはモーツァルト定期のリハーサルが始まり、10月3日(テルサ)4日(秋田・アトリオン音楽ホール)と本番です。今回は晩年の名曲である交響曲第40番と、山響きっての若手奏者であるオーボエの佐藤麻咲さんをソリストに、オーボエ協奏曲も演奏されます。私の出番は1曲目の交響曲第7番のみで、演奏時間も短いので出番終了後はゆっくり山響の演奏を楽しむ予定です。まさに秋の夕方をゆっくり過す理想的な展開ですね・・。
この写真は、昨年10月末の文化庁公演中に訪れた会津若松の鶴ヶ城の城壁です。きれいな紅葉ですね・・。
今日は山形自動車道経由で庄内地方での仕事でした。つい先日はでは緑一色だった山々が、ほんのりと秋色があらわれ始めていました・・・。
先日、13号線バイパスで新型GOLF GTIを見かけました。とてもカッコ良かったですね・・・・GOLFは初代モデルから所有していますが、2004年から4年間作られた第五世代のモデルだけは好きになれませんでした・・というか、あのデザインは今でも理解できません。もちろん、それを好む方々も多くいらっしゃるのであまり悪く言いたくはないのですが・・・。
2000年頃からのVWは、経営陣に多岐な人材を登用した事もあり(BMWやダイムラーからヘッドハンティングを積極的に行った)特にデザインの面では伝統的な思考から少し外れた感がありました。メカニズム的にはTSIエンジンやトランスミッションの革命と言われるDSGなど、いかにもドイツの精密機器らしい高度なテクノロジーを送り出し、世界の注目を浴びましたが、デザインプロダクトとしてはいささかオーバーデザイン(やりすぎ)だったと思います。その典型がフロントマスクで、クロームメッキを多用したグリル周りやウインドトリムなど、主張を強めたつもりが逆に田舎臭くなったしまったように感じます。世界中のユーザーなどからそのデザインのありかたに異議が寄せられ、社内的にもさまざまな意見が噴出し、2007年にVW社内で改革が起こり、経営陣がVW生え抜きを中心とするグループへと交代し、チーフデザイナーもアルファロメオで147や157を生み出し、その後アウディに移って近年のアウディのデザインを構築したイタリア人のワルター・ダ・シルヴァ氏が起用され、彼の指揮の下「ワッペングリル」と称されたクロームメッキ顔を一掃し、GOLF 6に代表される伝統的手法をモダンに現した新世代のVWが誕生したのです。写真は発表されたばかりのGOLF GTIの上をゆく「R」モデルです。先代は「R32」と言いましたが、こてこてのメッキ顔からシンプルな水平基調のデザインに変わっています。もう一つはかつて存在した「Lupo」の後継モデルで、こちらはコンセプトデザインですが、正式な発表は近いと言われています。
このブログを読まれている方々がどれだけ車に関心があるかは分かりませんが、とにかく私はVWとMacが大好きなので、時々思い入れの強い文章を書く事がある事をご容赦下さいm(__)m 「R」欲しいです・・・・。
Snow Leopard・・・直訳すると「ユキヒョウ」ですが、旭山動物園の話ではなくて、アップルのマシンで動作するオペレーションシステム(OS)の名称の事です。近年のアップル社は自らのOSのネーミングをネコ科の動物から採っていて、このSnow Leopardは今年初夏に発表された最新のOSです。ウィンドウズは1995年に発表された「Windows 95」が世界的なヒットとなり、パソコン普及への大きな起爆剤となりましたが、このウィンドウズも1984年にアップル社が発表したMachintosh(Mac)に搭載されていたMac OSを研究し、マイクロソフト風にアレンジしたものです。フォルダ、アイコン、コントロールパネル、デスクトップなどという今日では当たり前の概念は、70年代後半から80年代にかけてアップル社が開発したものなのです。
アップル社では自社のマシンでのみMac OSが動作するようにし、マイクロソフトはソフトウエアのみの会社である事から、マシンを製作するメーカーにウィンドウズを搭載するよう働きかけた事が今日のシェアの差となっています。アップル社は80年代後半から90年台中期まで苦難の連続でしたが、96年に創業者であるスティーブ・ジョブズが復帰してからは彼のプロデュースによるiMacやiPodなどが大ヒットし、さらにiPhoneの世界的成功により業界トップの地位を確立しています。
今日はようやく自分のマシンに新しいSnow Leopardをインストールする事ができ、より快適な処理速度と洗練されたインターフェースを楽しんでいます。
コンピューターはもはや日々の生活に欠かせないものとなっていますが、触れる楽しみいっぱいのMacは大好きなマシンです。
今年度の文化庁公演のワークショップも、私が参加する分は今日で最終日です。今日の公演は宮城県登米市内でした。インフルエンザで開催が危惧されましたが、感染者も出ずに無事に開催できました。6年生は修学旅行を控えていて、感染予防のため全員マスク姿でしたが・・・・。
この地方は、私たちの仲間である仙台フィルハーモニー管弦楽団も訪れた事が無いようで、実際の楽器を近くで見る事が初めての生徒たちがほとんどでした。ワークショップのプログラムの中には、バイオリンとトランペットを体験してもらうコーナーもありますが、緊張気味に楽器を持ち、何とか音が出たときの生徒たちの表情はとても可愛く、素敵な笑顔です。この楽しさをいつまでも忘れないで欲しいと思いますし、来月の山響の本公演ではさらにびっくりして聴き入ってくれるでしょう!
秋の連休の事をいつから「シルバーウィーク」なんて言うようになったんでしょうか・・・。本来、この時期は「お彼岸」なので、ゆっくり過すのが本当は最もふさわしいですよね。
ツアーの長旅を癒す暇もなく、22日には車で東京に向かいました(渋滞は少しでした)FIMやMUJの国際会議で通訳/秘書としていつも大変お世話になっているエヴェリン・ラクナーさんのご主人である斎藤民雄氏が高名な画家で、日本橋三越本店で10回目となる個展を鑑賞するためです。斎藤先生はウィーン在住が38年にもなり、ヨーロッパや日本で数多くの作品を発表しています。今回は今年がハイドンの没後200年にあたるため、オーストリアとイギリスでハイドンが過した風景を描いた繊細な作品が20点ほど展示されていました。私が鑑賞できたのは1時間ほどでしたが、非常に美しい色使いと、まるで空気が伝わってくるような雰囲気がある絵を鑑賞する事ができたことで、心が洗われるようでした。ラクナーさんご夫妻も私の訪問を大変喜び、歓迎してくれて、次回のFIMの会議での再開を約束してお別れしてきました。
23日に山形に戻り、24日から再び始まるワークショップの旅に備えて出発です。今回は宮城県の太平洋側を2日間巡回します。今日24日は女川町、鳴瀬町でした。今夜は仙台市でJ-Popの最も著名なアーティストの一組である男性ヴォーカルユニット(実は以前からの大ファンです)のライブを聴きに行き、その優れた歌とパワフルな音楽をたっぷり堪能して、体と心から一度クラシック音楽を完全に洗い流しました。美しい絵画と音楽(仕事の音楽ではなく)に触れて、文字通りRefresh&Detoxで連休を過す事ができました。また、明日から自分の音楽に集中できそうです。
今、「おくりびと」が放映されています。ご存知の通り、山響がオーケストラの演奏シーンで出演しています。この撮影があったのは2007年の5月で、当時はどのような映画かよく分からず、山響としても初めての映画収録だったので、心配しながら撮影地の酒田に移動した事がよみがえります。オーケストラのシーンは2分足らずですが、確か8時間近く収録に費やしたように記憶しています。現場は監督、スタッフ以下全員のチームワークが素晴らしく、緊張感の中にも楽しい雰囲気が漂っていました。それに本木さんのチェロ奏者としての演技の素晴らしい事!真のプロフェッショナルとしての仕事ぶりに私たちも感心したものです。
亡くなった人を「おくる」事には誰しもさまざまな感情があると思いますが、今はこの素晴らしい映画に見入りたいと思います。
2週間のツアーが終わり、お休み・・・と思いきや、レッスンやリハーサルなど昨日まで忙しく、今日からようやく休日です。ツアーの間に届いた多量の郵便物や資料の整理や秋物の服を出したりと、雑用をこなした一日でした。また、2週間の間に2,500キロも走破したGOLFの洗車と掃除もして、秋支度も整いました。これからは紅葉の季節がやってきますね! 色ずく山々を観ながらのドライブが楽しみです!
北海道での公演をすべて終え、同乗していた同僚を札幌駅まで送り再び単独で函館を目指します。北海道での文化庁公演は2005年に続く2回目でしたが、再び北海道に来れるのはいつになるのでしょうか・・・・この公演自体は毎年行われていますが、地域の指定には特に定めがある訳ではないので、決定は文化庁次第です。でも、私が現役でいる間にぜひもう一度来てみたいと思います。9月の夕暮れはとても美しく、北海道の澄んだ空気と混ざりあい、柔らかさを増し優しく漂います。スピーカーから流れるNorah Jonesのナチュラルな「スモーキー・ヴォイス」がとても良くマッチしています・・・。
先ほどからフェリーが動き出し、今は心地よい振動と揺れが睡眠をいざないます。11日の函館行きでも同船した山響の誇る美女3名は、すでに夢の中のようです。青森に上陸後は、このツアーのファイナルで、宮城県気仙沼市での公演があります。来月には同じツアーで岩手県、秋田県を廻ります。新しい政権がこの素晴らしい事業の継続と、さらなる文化政策の振興を進めてくれるよう、切に願います。
北海道シリーズ最後の夜はやはり日本最大の歓楽街の一つ、ススキノです。(なんだかグルメレポートみたいですが・・・)私は1959年に生まれ、78年に東京に出るまで北海道で過しましたが、50、60年代は石炭の時代でした。札幌から名寄までの沿線を見ても、岩見沢、芦別、夕張、砂川など炭坑で振興してきた街が並びます。私の幼少時代、どこの家にもの家にも石炭を一冬分貯蔵しておく納屋があったものです。当時、石炭は安くて熱効率が良いために家庭や学校、駅などあらゆる場所で使われていました。学校でもいわゆる「だるまストーブ」があり、石炭当番と呼ばれるクラスの係が石炭庫から教室まで毎日石炭を運んでいました。50年代(昭和30年代、と言った方が分かりやすいかも知れませんね)の札幌を始めとする北海道の都市は、各家庭や会社から出る石炭ストーブの煤煙で町中が煤け、社会問題となりつつあり、東京など大都市の公害と並んで対策が急がれていました。そんな中、1964年のIOC総会で、1972年2月に開催される冬期オリンピックの開催地が札幌に決り、北海道と国を挙げての札幌の再開発が始まりました。そして、1965年の貿易自由化以降、原油もそれまでとは比較にならないぐらい大量に輸入されるようになりましたし、それに伴うさまざまな外国資本も流入する事となり、戦後の日本の企業は初めて「国際化」の荒波にさらされ、1964年の東京オリンピックを成功させた日本が、さらなる高度経済成長を目指してゆく事になったのです。
札幌(北海道)の近代化は、中央資本の進出と石炭に変わる石油エネルギーの浸透が大変重要な役割を果たし、リスクの多い石炭産業は少しずつ衰退してゆきました。私の家に初めて灯油ストーブが表れた日の事ははっきり覚えています。私は「こんな小さいストーブで部屋が暖かくなるのかな?」と心配しました。また、ストーブなのに電源コードがついていて、「火をつけるのに電気を使うんだ・・・」と思いました。点火のスイッチを入れると明るい火が灯り、部屋が暖かくなり始めたとき、「新しい時代が来た・・・」と子供ながらに思いました・・・。そして、ほとんどの家庭で石炭ストーブが姿を消した1972年2月3日、札幌では日本初(今も変わらずに使われています)のゴムタイヤ式地下鉄、千歳空港の国際化、札樽自動車道の開通、そして成長著しい札幌交響楽団など、大きく様変わりした人口100万人の札幌が、オリンピックの開会式を誇らしげに開催していました。あれから37年、札幌は開拓者と現代人との気概がコラボレートした素晴らしい都市として、内外から観光客が訪れ、光輝いています。今夜一人で散策したススキノも、バブル時代ほどではないにしろ、変わらず躍動感にあふれています。しかし、夕張に代表される炭坑を主たる事業としてきた街は、今では見る影もありません。繁栄と引き換えに失ってしまったものもまた大きいのです。これから次の世代に何を残すかは、今を生きる私たちの大きな責任だと思います。明るく輝く夜のススキノの風から時折感じるいにしえの記憶に、日々冷たさを増す風に絡むように漂う石炭のススの匂いを思い出すのは、私だけではないでしょう。
どこまでも抜けるような青空とさわやかな風・・・今日の北海道はこれ以上ないほどの秋晴れで、新たな気持ちで滝川までのドライブを楽しみました。先日もワークショップで訪れた江陵中学校は、今シリーズ最初となる吹奏楽部との共演も1曲あり、ワークショップでのレッスン以来、どれだけ練習してくれたかとても楽しみでした。可愛らしいトランペットパートの女性4人を始め、総勢50名近くの部員は、とてもしっかりとした響きを奏でてくれて、山響とのコラボレーションも抜群でした。この江陵中学校は、かつて全日本吹奏楽コンクールにも数回出場した名門で、これからもさらに練習を積んでくれれば、きっと多くの吹奏楽ファンにその名を再び思い出させてくれるようになると思います。
また、今日の演奏会ではほほ笑ましいハプニングもありました。今日の江陵中学校は、山響ファゴット奏者のY氏の母校ですが、オーケストラの伴奏で校歌を合唱するときに指揮を担当したのは何とY氏だったのです!このような機会は大変稀ですが、会場は和やかで幸せな雰囲気に包まれました。良かったですね、Yさん!
公演終了後は札幌に移動し、ご覧の通りです・・・今日は札幌に過すかつての生徒も合流し、楽しいひとときでした。
Hiroshi Sato Offizielle Website