1998/8/18 The First Meetinng

山形交響楽団第118回定期演奏会
1998年8月18日 19:00 山形県民会館
指揮:飯森範親
ピアノ:羽田健太郎

コープランド:アパラチアの春
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー
バーバー:弦楽のためのアダージョ
ガーシュイン:交響的絵画「ポーギーとベス」

山響にとって初のオール・アメリカ音楽プログラム、しかも現音楽監督の飯森範親氏の山響初登場で、「ハネケン」の愛称で親しまれていた羽田健太郎さんもソリストとして登場する豪華な演奏会でした。飯森氏の第一印象は、とにかく指揮が分かりやすく動作がきれいで、演奏しやすかった事が思い出されます。彼は山響に対してどのような先入観を持っていたかは分かりませんが、予想よりはるかに良いオーケストラと感じたのでしょう。とにかく「素晴らしい」を連発し、短時間で自分のイメージするサウンドを創れた事で大きな手応えを感じていたようです。また、羽田さんも「良いオケじゃないか」と褒めて下さり、私が演奏した「ラプソディ・イン・ブルー」のトランペットソロを大変気に入って下さりました。この演奏会は残暑厳しい時期で、しかも空調が万全ではない山形県民会館での開催でしたが、会場は満員で、終演後の交流会では飯森、羽田両氏とも汗だくになりながらファンサービスを笑顔で行ってくれ、初のアメリカプロによる演奏会は大成功でした。この時点ではまだ将来の構想は全く白紙の状態でしたが、「飯森」という若手指揮者は実際はかなりの実力派指揮者であると強く印象付けられました・・・・。

1995/6/18 The 100 Anniversary

山形交響楽団第100回定期演奏会
1995年6月18日 19:00 山形市民会館
指揮:村川千秋
ヴァイオリン:安永 徹
ピアノ:市野あゆみ

コープランド:市民のためのファンファーレ
メンデルスゾーン:ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための二重協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第7番

創立から23年、遂に定期演奏会が100回を数えるまでになりました。当時は演奏会のプログラムは楽員の原案に基づいて作成されており、山響草創期のコンサートマスター(つまり、初代コンマス)であり、当時ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第一コンサートマスターであった安永 徹氏をゲストにお迎えする事は楽員からの強い要望で実現しました。また、ご夫人で安永氏の室内楽のパートナーとしても数多く共演しているピアノ奏者、市野あゆみ氏にも出演していただき、花を添えていただくこととなりました。記念すべき100回の演目としては多少シンプルなプログラムとも言えなくもないですが、安永氏が山響の弦楽器セクションにもたらした影響の大きさは筆舌に尽くしがたいものがありました。私たちがまだ知らなかった細かなテクニックや、響きの創り方、そして世界のマエストロと渡り合って音楽を奏でてきたその経験からくる深い音楽性は、わずかな時間に山響の弦楽セクションのレベルを大きく引き上げました。ベートーヴェンの7番ではコンサートマスターを務められ、ベルリンフィルでのリードぶりと寸分たがわないその姿は、まさに真の音楽家としての偉大さが漂っていました。安永氏はこのあとも1996年7月6日の第106回定期でモーツァルトとメンデルスゾーンを弾き振りをされたり、1999年7月18日の第123回定期では市野さんとベルリンフィルのソロチェロ奏者のクヴァント氏とともにベートーヴェンの三重協奏曲を、2001年6月21日の第135回定期でも市野さんとともにモーツァルトを、2003年8月23日の第151回定期では再びモーツァルトを弾き振りをされるなど、合計5回山響に来演されました。それ以降の共演が現在まで無いのは残念ですが、音楽的に大変純度が高い第100回定期演奏会であったと今も思います。

Mizar

感動的な第200回定期から一夜明けた23日は私の50回目の誕生日でした。今年は山響が200回、私は50歳で山響在団25周年と記念続きの年です。今から9年前、2000年5月には40歳になったのをきっかけに、文翔館で初のリサイタルを開催、多くの方々から好評をいただきました。その時、50歳になったらまたリサイタルをと考えましたが、ここ数年のあまりの多忙さに今年の開催を見送りました。そんな中、長年の良き同僚であるオーボエ奏者の斎藤真美さんから自身が主催する室内楽シリーズでの共演のオファーをいただきました。斎藤さんは最近「星座」に傾倒していて、「星の案内人」として研究と勉強を続けています。今回、山形市内のカフェ「嵯蔵」(さくら)で「ミザールコンサートサロン」と題して室内楽の連続演奏会を企画されました。「ミザール」とは、おおぐま座にある恒星で、北斗七星の柄の先端から2番目に位置する星の事です。斎藤さんらしい、美しいネーミングですね。そして、共演の演目として彼女が選択した曲は、コールアングレとトランペットのために書かれたアーロン・コープランドの「静かな都会」です。この曲はとても叙情的な美しい曲で、いつか演奏してみたい曲の一つでした。

2009年11月23日、私の50回目の誕生日はオーボエ、ピアノそしてトランペットが織りなす響きで飾られ、それはまさに「ミザール」のような光を放つ響きでした。またひとつ、望んでいた音楽を奏でられて幸福な時間でした。

The 200 Anniversary Ⅲ

1週間の素晴らしい時間が過ぎ、私たち山響のメンバーは、音楽に(山響に)携わり続けてきた事を心から喜ぶとともに、この演奏会の事を生涯の思い出として心の奥に持ち続けてゆく事でしょう。

4人の指揮者とオーケストラが創り上げた音楽は、どれも比類なき響きで、「音楽」の素晴らしさにあふれていましたし、それを見守り、全身で感じていただいた聴衆の皆様にも感謝したいと思います。飯森監督が言うように、この200回は通過点です。長い年月が過ぎオーケストラのメンバーや指揮者が替わっても山響は山形にありつづけるでしょうし、10年、20年先の山響がどのように発展してゆくか興味は尽きません。これからも「人から人」「心から心」へと音楽が拡がってゆくように毎日の演奏活動に取り組んでゆきたいと思います。

ありがとうございました。

The 200 Anniversary Ⅱ

終わりました・・・・2日間ともお客様で超満員でした。ありがとうございました。

とても素晴らしい、感動的な演奏会でした。このことはあらためてくわしく書きたいと思います。今日はこれからソロの本番です。唇が閉店状態です・・・(+_+)

The 200 anniversary Ⅰ

初日が終わりました。1席も空席の無い会場から伝わる熱い期待・・・そして4人のマエストロとオーケストラが奏でた響きは深い感動を呼びました。
黒岩氏のまさに入魂のワーグナー・・最終部の金管はオルガンのような響きを出し、私の後列のトロンボーン、チューバのサウンドは神々しさにあふれたもので、これこそワーグナーの響きでした。工藤氏の精緻で透明な音楽創りも、佐藤敏直氏の作品を再創造したかのようでした。そして村川氏のシベリウス・・・山響が奏でた最も美しい響きではなかったでしょうか。彼は演奏後のインタビューで「皆さんにありがとうと言いたかった」と聴衆に語りかけましたが、私たち楽員も「ありがとう」の気持ちを込めて演奏していました。最後は飯森氏がストラビンスキーを鮮やかに決め、素晴らしい演奏会を見事に締めくくりました。明日の2日目もさらに素晴らしい響きがテルサホールに響きわたる事でしょう!

The Maestro

昨日はテルサに会場を移してリハーサル3日目でした。村川氏の音楽はどこまでも美しく透明で、「カレリア」の第2楽章は一面真っ白な大地を北欧の太陽が照らし、空気がきらきらと光る光景が浮かぶようです。この美しい叙情は言葉では表す事ができません・・・・。「シベリウスチクルス」として毎冬の定期でシベリウスを取り上げていた頃よりもグレードアップしたオーケストラの響き・・・それは村川氏によって創り出され、黒岩氏が熱い魂を入れ込み、飯森氏によってさらなる躍動感と柔軟性を与えられ、発展してきた響きですが、今もなお山響の響きの芯として村川氏の音がしっかりと残っている事をあらためて感じます。きっと今夜は感動的な時を過す事ができるでしょう。

1993/12/8 Mahler 5

山形交響楽団第91回定期演奏会
1993年12月8日 山形市民会館
指揮:山下一史

バーバー:弦楽のためのアダージョ
マーラー:交響曲第5番

私にとってこれまでで最も印象に残る演奏会の一つとなるのが、この第91回定期演奏会です。オーケストラのトランペット奏者にとってマーラーの5番のソロを演奏する事は、他のどのような曲を演奏するよりも重要であると言っても過言ではありません。初めてこの曲を知ったのは高校生の頃で、ショルティとシカゴ交響楽団の演奏で、ソロトランペットは最高のオーケストラ奏者と言われた伝説の名手、アドルフ・ハーセスでした。それ以来この曲とハーセスの演奏に夢中になり、シカゴ響のレコードを集めてはすり減るまで聴き込みました。また、シカゴ、フィラデルフィア、クリーブランドの金管セクションによる「ガブリエリの饗宴」(Sony Classical MHK62353)は毎日のように聴き、レコードが本当にすり減って聴けなくなりました・・・シカゴ交響楽団を始めとするアメリカのメジャー・オーケストラの来日公演を聴いた時の驚きと感激は大変大きなものでした。ハーセス率いるシカゴ交響楽団の金管セクションの演奏は、私の演奏家としてのDNAに深く刻み込まれています。
 
「プロオケ奏者としてマーラーの5番のソロをアドルフ・ハーセスのように吹く事」は私の人生の大きな目標となり、いつかその日が来る事を夢見て音大の学生時代、練習に励んだ事を思い出します。そして1993年の12月5日、リハーサル初日に第1楽章冒頭のソロを演奏した時の事は忘れられません。まさに「夢が現実」になった瞬間でした。8日の本番当日は極限まで緊張しましたが、冒頭のソロをうまく決める事ができ、約80分間の演奏時間もあっという間の出来事のようでした・・・この頃の山響は時々大編成のプログラムを取り上げ、ブルックナーの第7番(94/12/7 第96回定期)やボレロ、海などオールフレンチプロ(93/3/12 第88回定期)なども演奏していました。それぞれに素晴らしい演奏でしたが、この時代ではやはりこのマーラー第5番が私にとって忘れられない演奏会です・・・。

Return

第200回定期演奏会のリハーサルが昨日から始まりました。黒岩氏の魂を入れ込むような熱い指揮、工藤氏の細部へのこだわりが生む透明感、飯森氏のキレのあるバトン捌きから引き出される生き生きとしたリズム・・・オーケストラもそれぞれの指揮者の楽器となり、全く異なるサウンドを出しています。

そして今日、7年の時を経て村川千秋氏が山響の指揮台に戻ってきました・・・チューニングが終わり、彼が現れるとオーケストラ全員が起立し、大きな拍手が沸き起こりました。村川氏の顔にも笑顔が浮かびます。以前よりも穏やかなその表情からは、長い間の深い苦難と喜びを経て一人の芸術家が到達した揺るぎない世界が伝わってきます。村川氏が最後に山響を指揮した2002年以降、新たに加わったいわゆる「戦後世代」のメンバーも増え、彼の指揮で初めて演奏する団員も多くなりました。現監督の飯森氏をはじめ、スタッフ全員が見守る中、リハーサルが始まり、オーケストラが奏でた響きはまぎれもなくあの「村川/山響」のサウンドでした・・・「カレリア組曲」の2楽章の弦楽器と木管楽器の歌や、3楽章マーチの躍動感は、彼の持つ音色そのもので、私が入団後初めて聴き、記憶に刻まれたサウンドがリニューアルして蘇ったようです。初めはお互いが若干緊張していましたが、リハーサルが進むにつれて指揮者とオーケストラとの一体感が増し、長い間の空白を取り戻したかのような時間でした・・・明日はテルサでのリハーサル最終日です。この響きが本番までにさらに美しくなるように、力を尽くしたいと思います。

1992/3/24

山形交響楽団第83回定期演奏会
1992年3月24日 山形市民会館
指揮:田中良和

ラヴェル:組曲「マ・メール・ロア」
フォーレ:組曲「ペレアスとメリザンド」
ムソルグスキー=ラヴェル:組曲「展覧会の絵」

トランペットが私一人になり、オーディションを2回行っても該当者がなく、一年の月日があっという間に過ぎてゆきました。その間、すべての演奏会でエキストラを起用しなければならず、連絡等に忙殺された記憶があります。当時は携帯もメールもパソコンもなく、留守番電話だけが頼りといった感じで、ファックスはありましたがそれほど役に立つものではありませんでした。また、この時期はコンサートマスターも一人だけで、客演コンマスや弦楽器の客演首席奏者の確保にも苦労した思い出があります。個人的にも年間すべての公演で第1トランペットを演奏する事は初めてで、しかも自分のパートナーが決らない事(つまり、毎回エキストラ)へのフラストレーションも重なっていました。それでも、次第にエキストラは3〜4名のプレイヤーで固定されてゆき、仕事も少しずつ楽になっていきました。

そのような状況の中、1992年2月にトランペットとしては3回目のオーディションが行われ、併せて欠員になっていたホルン、ファゴット、打楽器などのパートのオーディションも行われました。このオーディションでようやく優れたトランペット奏者に出会う事ができ、その人こそ現在の首席トランペット奏者、井上直樹君でした。また、このオーディションではホルン岡本和也、パーカッション平下和生、ファゴット難波 彰(現在は退団)とその後の山響の中核をなす奏者が合格し、管・打セクションに新しい雰囲気が生まれる事が期待されました。4人は新年度からの採用に先立ち、3月24日の第83回定期演奏会に揃ってエキストラとして出演し、立派な演奏を披露しました。私は「展覧会の絵」でプレッシャーのかかるソリスト(TV収録もありました)でしたが、新たなメンバー達と共に希望と喜びをもって演奏した事を今も懐かしく思います。