1985/11/7 The Contra “C”

山形交響楽団第51回定期演奏会
1985年11月7日 19:00 山形県民会館
指揮:村川千秋

シューベルト:「ロザムンデ」より
ショスタコヴィッチ:交響曲第5番

日本における文化政策は、戦後の新憲法に基き、国民が広く文化、芸術を享受できるよう国が積極的に施策を進めることとされていますが、国立の洋楽施設を設ける事が審議されたのは昭和30年代初期に入ってからで、伝統芸能のための施設(国立劇場)のほか、近代芸術や洋楽のための国立の施設を設けることが国会で決定されました。その後、実際に新国立劇場が開場するまでには膨大な時間を要しましたが・・・。

日本の特徴として、国や自治体が直営の施設や団体を運営するのではなく、財団法人や社団法人(最近ではNPOなども)などのいわゆる外郭団体がオーケストラやホールを運営し、行政側はそれに対して「助成金」を交付することが長く行われてきました。プロ・オーケストラに対する最初の助成は地方オーケストラからで、1961年に群馬交響楽団が初めて文部省から「社会教育関係団体補助金」として助成を受けたことに始まります。当時、群響は1956年に文部省から全国で初めて「音楽モデル県」の指定を受け、61年に竣工した「群馬音楽センター」を拠点に、地方オーケストラの草分けとして苦しいながらも、関係者の懸命な努力で運営を続けていました。その後、1963年に札幌交響楽団、1965年に関西交響楽協会、1966年に東京都交響楽団が同じく助成を受け、この助成制度は1965年に「芸術関係団体補助金」として独立し、1968年の文化庁創設後はさらに金額が拡大され、1973年には地方オーケストラだけでなく、在京オーケストラに対しても助成が行われる事になりました。

1980年、文化庁はオーケストラの助成対象の条件を新たに定め、地方オーケストラは2管編成55名以上の専属楽員、定期演奏会を年間5回以上、在京オーケストラは3管編成77名以上、定期演奏会を年間9回以上それぞれ行う事とし、1984年まで猶予期間を設けた後、1985年からこれを実施しました。これにより当時30数名の楽団員で活動を続けていた山響は、基準を満たす事が不可能となり助成の申請を見送らざるを得ない事態に追い込まれ、全国紙に「山響 解散の危機か」などと報じられました。この事がきっかけとなり山響の苦しい運営実態が県民に理解され、県民有志による「山響に楽器を贈る会」が組織され、わずかな期間に330万円の寄付が集まり、東北初の5弦のコントラバスや打楽器などが購入できたのです。山響はその長い歴史において何度となく危機に見舞われましたが、この1985年の出来事は、県民全体で山響を支えようという機運が生まれた最初の機会であったと思います。

この「山響に楽器を贈る会」からの寄付金で購入した楽器たちのお披露目が第51回定期演奏会でした。シューベルトもショスタコヴィッチも感動的な名演でしたが、村川氏がアンコールに選んだ曲はバッハ作曲の小品で、彼がレオポルド・ストコフスキーの下で学び、日本へ帰国する時に「私は故郷でプロ・オーケストラを作りたい」と話すと、ストコフスキーはわざわざ村川氏のためにバッハの作品を編曲してくれ、「いつか君のオーケストラでこの曲を演奏しなさい。これは私から君へのプレゼントだ」と村川氏を励ましたそうです。そうして村川氏は帰国し、新進気鋭として各地のオーケストラへの客演を重ねながら山形でのプロオケ結成の機会を窺っていました・・・・それから10数年の時を経て、ようやく山響が発足し、小さいながらも全員で地道な演奏活動を続けて少しづつオーケストラは成長してゆきました。しかし、ストコフスキーから託された楽譜には当時の山響が所有する楽器では演奏不可能な音が記されていました。それは5弦のコントラバスの最低音「Contra C」だったのです。5弦のコントラバスは、通常の4弦の楽器の最低音であるE弦よりも3度低いC弦が装着されていて、通常のC音に加えて1オクターブ低いContra C弦を重ねる事でさらに低音に厚みを加える事ができます。村川氏は「ようやくこの曲を演奏できる日が来た。それも県民のみなさんによる寄付で購入する事ができた楽器で演奏できるなんてとても嬉しい・・・」とアンコールを演奏する前に聴衆に話し、さらに「低いCの音が出るとき、合図をしますからよく聴いていて下さい」と演奏を始めました。曲自体は短い曲でしたが、クライマックスの部分で全楽器が総奏する箇所、村川氏は客席に向かってコントラバスの方向を指さし、次の瞬間その「Contra C」は会場全体にしっかりと響き渡りました。それは、村川氏、ストコフスキー、そして山響を想うあらゆる人たちの気持ちが一つになった素晴らしい時でしたし、演奏していた私にとっても大変感動的な瞬間でした・・・

あれからもう25年近くの時が経ち、山響は5弦のコントラバスも数台所有できるようになりましたが、「Contra C」の響きを聴くと、あの時の感動を昨日の事のように今も思い出します・・・・。

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