今から30年前の今日、ニューヨークでジョン・レノンが射殺されました。この日、武蔵野音楽大学3年生だった私は、あと一週間に迫った大学のウィンドアンサンブルの定期演奏会にむけたリハーサル中で、演奏中に友人が「ジョンが撃たれた!」と言ってリハーサル室に入ってきた時、私は訳がわからず「ジョンって?」と聞き返した事を思い出します・・・
私は小学生のころからビートルズが好きで、ピアノのレッスンで練習していたモーツァルトやハイドンに飽きると、「Let it be」や「lady Madonna」のようなピアノパートのある曲を弾く事が楽しみでした。また、音大生の頃買ったピッコロトランペットで最初に吹いた曲はクラシックではなく、「penny lane」の間奏で出てくるピッコロトランペットのフレーズでした・・・ビートルズの音楽はほとんど知っていましたが、レコードを買うお金がなかったので、ラジオにかじり付いて普及し始めたばかりのカセットテープレコーダーにせっせとエアチェック(懐かしい言葉!いまではダウンロードですよね)していました。1970年、ビートルズは解散してしまいますが、幾度となく再結成の話が出ては消え、レコードも売れ続けてゆきました。日本でも財津和夫やオフコースを中心にビートルズの影響を強く受けたアーティストがたくさんいますし、レノン=マッカートニーはジャンルを超えた20世紀における偉大な作曲家として後世に残り続けるでしょう・・・
ジョンの死後、ビートルズの再結成は完全にあり得ないとされましたが、1994年にジョンが「ロックンロールの殿堂」に入った事がきっかけでオノ・ヨーコとポール・マッカートニーは「歴史的和解」を果たします。この時、ヨーコがポールに一本のカセットテープを手渡します。これは1977年頃にジョンが自作の曲をデモテープとして残したもので、このテープをデジタル加工し、その上にポール、ジョージ、リンゴが事実上の再結成といえるセッションを行い、翌1995年にビートルズとして25年ぶりの新曲「フリー・アズ・ア・バード」として発表されます。そして、この曲を含むビートルズの総括とも言えるプロジェクト「アンソロジー」が3部作にわたって発表され、彼ら3(4)人は解散後長い時を経てようやく自らの全てを語り出します。
ジョンがもし生きていれば70歳・・・ギターの名手だったジョージ・ハリソンもガンに侵され2001年11月に亡くなり、ポールとリンゴ・スターは今も元気に音楽活動を続けています。今では彼らのアルバムは全て最新のテクノロジーでリマスタリングされ、素晴らしい音質で聴く事ができますし、長らく待たれていたiTunesでの配信もついに始まり、ビートルズの音楽を初めて聴くファンも増える事でしょう。天国のジョンもジョージと共にきっと安心して過ごしていると思います。
月日の経つのは早いもので私がまだ20歳で48年前、税理の仕事を東京の阿佐ヶ谷の税理事務所でしていた時、米軍の横田基地から放送されるFENを何時も深夜聞きながら勉強とアルバイトをしていました。その時突然、今迄聴いていた曲と違い、強烈なビートの効いた曲が流れて来ました。何年かFEN を聞いているのに、初めての独特のサウンド、今迄のリズムと違い、慣れていないから一瞬拒絶をしましたが、何か心から訴える今迄に無い音楽のジャンルに驚き感動したのを覚えています。FENの放送で流れてから、その後1週間遅れで日本放送からビートルズが紹介されましたが、今では考えられない海外とのタイムラグが有ったのを記憶しています。
私には、ソロはThe ElvisボーカルはThe Beatlesになるのでしょうね。
コメントありがとうございます。先日は飲みすぎてしまいました・・・・今、私にとって興味深いのは、ビートルズがアメリカのグループと違うのは、イギリスの厳格な階級社会において彼らは労働者階級で、
当時の若者の反骨精神というか、一旗揚げるためには音楽で戦う事が必然だった事ですね。後に彼らは世界を変え、文化となり結果として国家にも大きく貢献し、OBEも授かりますが、「戦争で人を殺したやつらと同じ勲章をもらった」と言ってのけます。いずてにしても、特に初期の音楽には強烈なビートを伴うエネルギー感が凄いですよね。それに、いつ聴いても新鮮に聴こえるのはなぜなんでしょうか・・・