Self-restraint

今日は雪がチラついています。そういえば昨年4月は桜が開花する頃から再び雪に見舞われ、満開の桜に雪が覆いかぶされようになりました。最後に積雪を観測したのが4月17日で、これは最も遅い記録です。

今日の山形はガソリンスタンドの列もなく、従業員にも余裕があるようで、洗車やタイヤ交換など通常の業務も行なわれていて、先週の今ごろとは大違いです。しかし、仙台から買い出しにきているのでしょうか、県内資本のスーパーで、地元の食材を多く提供していて品不足も最小限で済んだ「ヤマザワ」には宮城ナンバーや仙台ナンバーの車をよく見ます。仙台市内では電気が復旧したものの、水道やガスはまだ不通の地域もあり、完全なライフラインの復旧はしばらく先のようです。

連日報じられる痛ましい状況や、予断を許さない原発の惨状を見ると、騒いで遊んでいる場合ではないのはもちろんですが、何でもかんでも「自粛」というのはいかがなものでしょうか。また、「自粛」(Self-restraint)というのは本来自らの意思で行われるべきものですが、今の状況はそうではなく、暗に自粛を「強要」しているようにしか見えません。日本人は組織への帰属や依存心が強く、「人と同じ」状態に自らを置く事で安心する傾向にあると言われますが、それは同時に「自分たちと同じものではない」事を拒絶する事をも生み出しかねません。人生観、価値観というものはあくまで個人的なものです。このような時期だからこそ氾濫する情報に惑わされず、どう生活するべきかを一人一人が考えなければならないと思います。

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