Das Auto

山形に戻って冷たい風が身にしみます・・・北海道では初雪もあったようですが、私が子供の頃は11月3日の文化の日には雪が降っていて、その日にスパイクタイヤ(知らない人も多くなりました)に履き替えるというのが普通でした。また、家には石炭庫があり、冬を越すために大量の石炭を配達してもらうのもこの頃でした。1960年代に私の父親が所有していた車は、マツダのB360という軽自動車で、大衆車でしたがこれに乗せてもらうのが週末の大きな楽しみでした。形は今で言うハッチバック型で、私が変わらずGolfに乗っているのは、この時代の体験がベースなのかも知れません。当時、自動車のメカニズムは本当にアナログで、バッテリーが上がってしまった時にはクランクを手動で回す事ができたり(押しがけみたいなもんですが、わかりませんよね)オーディオはラジオが主流で、1970年以降普及したカセットテープを聴ける車は一部の高級車のみでした。その後、家の車は軽自動車からリッターカー、そして中型のセダンへと変わって行きましたが、軽自動車だった頃良く覚えているのは、翌朝の気温がマイナス20以下になることが予想された場合、父親は夕方帰宅すると車からバッテリーを外して家の中に持ってきていたことで、これも今ではあり得ないですよね。当時は今よりバッテリーの質が良くなく、北海道の厳しい冬では毎日あちこちでブースターケーブルで他の車から電気を分けてもらう事がありました。

1983年、仕事をするようになって初めて買った車はVW Golf 1でした(クラシックビートルが欲しかったのですが)この頃はまだ60扁平のタイヤが認可されたばかりだったり、ドアミラーは輸入車のみに認可されていて、国産車は全部フェンダーミラーでした(Golf 1 の頃、一時フェンダーミラー仕様のモデルがありましたが、激烈なカッコ悪さでした)その後、日本はバブル時代に入り、BMWの3シリーズが「六本木カローラ」とか言われたりするようになります。国産車ではトヨタの「ソアラ」や「マーク2」「チェイサー」「クレスタ」が爆発的に売れてゆきます(ほとんどがホワイトです)今では「エコ」でなければ売れないような時代で、若者の車離れも進んでしまいましたが、私は30年近くVWに乗り続けてきました。メルセデスやBMWとは少し違う「真面目、媚びない、出しゃばらない」でも、芯がしっかりしているシンプルな哲学は大きな安心感につながります。先週のツアーから戻ったとき、昨年4月に購入したGolf 6 の走行距離が60000キロになりました。忙しく仕事に追われる毎日ですが、運転席のシートに座り、エンジンの音を聴いていると不思議なくらい心が落ち着きます。これからも安全にできるだけ速くしかもスムーズに走りたいですね。

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