今日の山響はオーケストラとしては休日ですが、昨年度から始まった楽器講習会プロジェクトのために何人かのメンバーが講師として吹奏楽の指導に行っています。私はそれには参加せず、自宅でレッスン…自宅で楽器講習会ですかね。夜はけやきの森ブリティッシュブラスのリハーサルです。4月21日のリハーサルはヘビーな曲が多く、指揮者としての勉強も大変です。明日はFMの収録があるので台本も書かなくては…今夜は半徹夜かな…
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#18 Amadeus
「アマデウスへの旅」第6年の演奏会が終わりました。通算すると18回目になる今日の演奏会は、これまでの中でも最高レベルの演奏だったと思います。これほど透明感と色彩感があり、合唱のクオリティも高い演奏はそうあるものではありません。マエストロもとても満足そうな表情を浮かべていました。旅の終わりまであと二年…来年度も期待できますね!
K.427
K.81
WAM
始まったころは「8年がかりのプロジェクトって・・・」とか思っていたモーツァルト定期も、今週土曜日の本番が終わると6年目が終わったことになります。今回は初期の交響曲と大ミサ曲を演奏しますが、交響曲は7割くらいは演奏したでしょうか。あと2年間で完結なんて、本当に時間が経つのは早いです。今回私は演奏せず、GMとして後方支援(広報も?)ですが、少し離れて自分のオーケストラの演奏を聴くと、ステージで一緒に音を出していた時とは違ういろいろな発見があります。飯森マエストロも元気いっぱいでメンバーに的確な指示を出し、リハーサル会場の文翔館議場ホールの空気がどんどん変わってゆきます。こうしたクリエイティヴな瞬間を見るのは楽しいですね・・・自分が演奏していなくても楽しい気持ちになれるのは、モーツァルトの音楽の魅力の1つでしょう。明日からは素晴らしいソリストと最近とみに評価の高い合唱団、アマデウスコアが合流してテルサホールでリハーサルです。ピュアな声をまた聴くことができるのはとても楽しみです!
The consecutive holidays
9日から昨日まで、リハーサルと本番でしたが世の中は3連休だったんですね・・・昨年度から2月、3月が10月や11月のような忙しさで、月間出勤日数いっぱいに働いています。昔は2月なんか凄く暇で、休養や歯科治療など、体のケアをする時間もたくさんありました。今では年間ほとんど稼働しているような状態で、仕事があることは素晴らしいのですが体調管理が難しくなってきています。特に交代勤務がまったっくと言って良いほど叶わない弦楽器セクションの楽員は本当に大変です。明日からはモーツァルト定期のリハーサルが始まります。良い演奏を期待するのはもちろんですが、故障者や病欠が出ないよう、祈らずにはいられません。
Good old day
「親子でたのしいオーケストラ」全4公演のうち半分が終わりました・・・
今日の会場は山響が創立した頃にオープンし、2001年4月に完成した山形テルサに移るまで山響の主たる定期会場だった山形市民会館でした。私は3月末でオーケストラの演奏からは離れますが、入団から17年間は時々山形県民会館も使用したものの、ほとんどの定期演奏会をこの山形市民会館で演奏してきたことになります。テルサに移ってからはほとんど2ndを中心としたセクションプレイでしたが、1991年から2001年までは、ほぼ私が1stを演奏していました。ゲネプロ前にステージに上がり、久しぶりにかつての自分の席に着き、前を見ると客席全部が見えます。ウォーミングアップを始め、自分の音がホールに響くのを聴くと昔の記憶がどんどん思い出されて、とても懐かしくなりました。90年代は私も若く、山響も発展途上のオーケストラで、みんながんばっていましたが、どこかのんびりした雰囲気もあったように思います。それでも時々は大きな編成の曲も演奏しましたし、「展覧会」や「マーラー5番」などのソロは忘れられない思い出です。本当に充実していて楽しかったですね・・・ここで演奏できなくなることは、やはり残念に感じています。
定期演奏会の会場がテルサに移ってからは、自分の立場も変わり、忙しさも格段に増し、自分の演奏の事以外の仕事も増え、公私ともに厳しい場面もしばしばあり、山響としては爆発的な進化を遂げることができましたが、この10余年を振り返ると個人的にはさまざまな想いがあります。良くここまで続けて来れたなと・・・市民会館に響く山響の音はテルサと比べて良いとか悪いとかではなく、違う個性があります。オーケストラの中に交差する自分の響きを感じながら、そんな事を考えていました。
Shinjo
after a long absence
Network
私が山響で演奏活動を始めた1984年は、NTTは「日本電電公社」JRは「日本国有鉄道(国鉄)」JTは「日本専売公社」の最後の年でした。このような公社を指して「三公社五現業」という呼び方をしていたのを知っている人は私たちの世代、つまり50歳以上でしょう。その中でも電電公社(「電電」とは電話と電報のことです)は電話事業では独占事業者で、電話の架設(当時は「電話を引く」と言っていました)や基本使用料は今とは比べものにならないほど高価なものでした。現在では普及率が96%(2009年)までになった携帯電話は、昔は「ショルダーフォン」や「自動車電話」として政治家などごく一部の限られた人々のものでした。携帯が個人で完全に自由に買えるようになったのは1990年代に入ってからですが、その前の時代に生まれたアップルのコンピュータ「Macintosh」や1995年に発売されて個人のコンピューター使用に大きな変化をもたらしたマイクロソフトのソフトウェア「Windows95」など、いわゆる「IT」の発達と共に、それまで固定電話とfaxが大半だったコミニュケーションの方法が根底から変わってゆきます。
その後、今日まで続く変化についてはもうほとんどの方が知っているでしょうから、改めていうまでもありませんね。音楽の世界でもCDの売り上げがダウンロードよりも少なくなる事もジャンルによっては起こり、今では情報伝達の概念がもう全く異なる世界になっています。個人でホームページを持ち、こうして記事を書き、世界中の人たちにリアルタイムに発信する事が誰でもできる・・・
今日、楽団事務局では私と広報を担当している職員とで、近く始まる新しい山響のホームページの詳細について、作成を委託している業者とのミーティングを行いました。ウェブサイトの世界では、3年前のデザインはもう古くて評価できないそうで、そうした発想によれば現在の山響の公式サイトはかなり前時代的になってしまうのでしょうか。演奏会の告知などは「チラシ」などで行われますが、そもそもチラシで告知できる数など知れていますし、苦労して折り込んだチラシがそのままゴミ箱へ捨てられてしまうことも少なくはありません。最近ではホームページに加えてSNSサーヴィスも広報に取り入れているオーケストラが世界中にたくさんあり、さまざまなオーケストラのサイトを見るとホームページとSNSをうまく使い分けているのがよく分かります。チラシやポスター、新聞などを使う伝統的なアプローチも活用しながら、新たな方法も採用することがより広く情報を伝えるために役立つのではと考え、山響でもホームページのリニューアルに合わせてFacebookとTwitterを併設することにして、今日からTwitterの公式アカウントを使い始めました。特にTwitterは動的な情報を素早く伝える手段として期待されます。ネットワーク上にいる世界中の人たちに山響のフレッシュな情報をたくさん伝えられると良いですね!