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北海道出身。武蔵野音楽大学卒業後、1984年より山形交響楽団でトランペット奏者を務めている。オーケストラでは主にセクションプレイを通して、近年特に充実著しい山響のサウンドに貢献している。演奏活動の他にはソロ、室内楽などを行っている他、個人レッスンやスクールバンドの指導、ワークショップなどを東北各地で積極的に展開している。指揮活動では、1999年より指揮者を務めている山形市役所吹奏楽団を率いて、2003、2004年と連続して全日本吹奏楽コンクールに出場したほか、けやきの森ブリティッシュブラスバンドでは、創立当初より指揮者を務めている。現在、山形交響楽団トランペット奏者、山形北高音楽科、山形短期大学各講師。国際トランペット協会(ITG)会員。

Neue Saison

新年度が始まりました。3月はとにかく忙しく、決算時期でもあったので連日大変でした・・・

4月は3月に比べていくぶん楽なので、元気を取り戻せるかなと思っています。それにしても、2〜3月はあれだけ雪が降ったのに、ちゃんと暖かくなるんですね・・・お花見をするのが待ち遠しいです。

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Oslo

海外出張です・・・突然オスロに来ています。

これまでは武蔵野音大時代の1981年、オーケストラの演奏旅行で1ヶ月西ドイツ・オーストリアに行ったのが最初の渡航でした・・・そのあとは1991年に某オケのアメリカ旅行で10日ほどコロラド州、ワシントン州へ。演奏関係はここまで。

MUJオーケストラ協議会の役員になったのが1996年で、翌97年3月にスコットランドで行われたFIM(国際音楽家連盟)の会議に出席したのを始めに、2008年にベルリンで行われた第1回国際オーケストラ会議、同年10月にヨハネスブルグでのFIM総会、2009年5月にはリオデジャネイロでのFIM執行委員会、2011年にはアムステルダムでの第2回国際オーケストラ会議・・・今回は第3回オーケストラ会議・・・MUJで私の後継となる方出席すると思っていたら、また私が・・・今では立場は違いますが、オーケストラを良いものにする事では一緒です。久しぶりに会う仲間達との再会が楽しみです・・・

初めての北欧はびっくりすること多し・・・次のレポートをお楽しみに。

 

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続き・・・

1番驚いたのが物価の高さです。コンビニみたいなお店で500mlのミネラルウォーターとチョコレート1枚で980円です・・・しかも消費税が24%位で、何を買ってもとにかく高い!ホテルのバーでビール大ジョッキをオーダーしたら、1000円くらいしました。さらに、酒屋でいつも飲んでいるJackDanielsを見つけましたが、日本の安売り店では1680で買えるものが、6800円もしました。ただ、消費税は一律同額ではなく、日用品、贅沢品と税率が異なります。日本でも消費税が上がりますが、ぜひ軽減税率を導入して欲しいですね!

sochi 2014

ソチオリンピック、連日楽しんでいます。深夜の中継を観て翌朝仕事に出るのはキツイですが、世界のアスリートの活躍からはその人となりが現れて、感心することしきりです。

個人的には葛西紀明さんを応援していました、1月末のワールドカップフライングヒルでの圧勝に代表されるように今季は特に好調でした。葛西さんの出身地、北海道下川町は私の実家がある名寄市の隣で、とにかく何もない田舎です。でもスキー場の雪質は日本一といわれていて、現在ワールドカップ転線地の一つである名寄市の「ピアシリシャンツェ」が完成した1970年頃は、札幌オリンピックの金メダリスト、笠谷幸生さんのジャンプを観に通ったものです。

今回は予想通りに葛西さんが念願のメダリストになりましたが、意思を強く持ち続ける事の素晴らしさを(難しさ、かな)改めて感じました。また、フィギュアスケートでは羽生さんの日本初の金メダルに大変感動しましたが、今回のオリンピックのために現役復帰したものの、本番では残念ながらケガのため棄権してしまったプルシェンコさんのコメントにも感動しました。彼は現役復帰を決めた理由の一つとして、若いスケーター達が「挑まない」事への批判と、失敗を恐れず挑戦しないと進歩がない事を伝えたかったことを挙げていました。その意味において羽生さんは最高に素晴らしいと。

現在のフィギュアスケート、特に女子は伊藤みどりさんのトリプルアクセルから大幅に技術が向上したように思います。1992年のアルベールビル大会、彼女は惜しくも金メダルには届きませんでしたが、オリンピックで女子選手として初めてトリプルアクセルと3回転ー3回転のコンビネーションを成功させた事が大きな功績と評価され、2004年に日本人として初めて世界フィギュアスケート殿堂入りを果たしています。その後、国際スケート連盟は「伊藤みどりはたった1人の力で女子フィギュアスケートを21世紀へと導いた」と声明を出し、技術革新に挑み続けた功績を讃えました。

23日の閉会まで、まだまだ熱い戦いが続きます。限界への挑戦が生み出す感動的なシーンがたくさん観れそうです。

Friere

2月になりました…1月末に風邪をひきましたが、インフルエンザではなく軽めの症状ですみました。

「立春」なのに寒さが増すのはいつもの事ですが、それにしてもこの冬は雪が降りません。今日は久しぶりにバリッと寒く、1日雪でしたが大した量ではありませんでした。このまま春が来てくれたら良いのですが、どうでしょう。

明日は職場の健康診断です。2010年に入院手術して以来体重が増えてしまったので、いろんな数値も多分悪いです。何とかしなきゃなぁ…

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Träumen

疲れがたまっているせいか、変な夢を良く見ます…

数日前に見た夢は、朝、目覚めて枕元に置いてあるiPhoneを手に取ろうとしても、つかむ事ができず、手がすり抜けて行く…起き上がっても歩いている感覚がなく、浮かんでるような状態です。そのあとは周りの人達がみんな泣いていて、声をかけても誰にも聞こえないようです。近くの人の背中を叩こうとすると、さっきのiPhoneの時みたいに手に感触がありません…そして、自分が死んでいる事にようやく気が付く…

次の場面は、自分の葬儀を会場の上から見ているところでした。

これにはさすがに驚き、必死に叫ぼうとしますが声が出なく、パニックになりそうなところで目が覚めまさした。

しばらくは夢か現実か解らなく、iPhoneのアラームが鳴り出してようやく意識がはっきりしました…

こんな夢もあるんですね…ひょっとしたら一瞬、未来を見てきたのかも…

人はみんないつかは亡くなるし、先の事もまったくわからないものです。ですから、その事を大げさに怖れたりしても仕方ありませんが、何だかとてもリアルな夢でした…

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Augenheilkunde

何だか疲れるし微妙な頭痛が・・・いつの間にか視力が落ちてコンタクトレンズとメガネの度数が全く合っていなかったのが原因でした。昨年、オフィスワークのために少し度数を下げたのですが、それからさらに視力が下がってしまったようで、これでは目が疲れるに決まってますよね・・・仕事を終えてクリニックで視力を再測定し、新たなレンズを処方してもらい、楽になりました。レンズはもう15年くらいワンデーを使っています。確かにコストは高いですが、安全性では1番でしょう。また、さまざまなメーカーのレンズがあり、いくつも試しましたが、Johnson&Johnsonのものがレンズが薄く、最新のレンズは装着していないように感じるほどです。私が初めてコンタクトレンズを使い始めた1980年代、それまで主流だったハードレンズ(私には全く合いませんでした)が進化し始め「O2レンズ」になったり、ソフトレンズは「煮沸消毒」していたのが懐かしいですね。いまではソフトも1液でケアできますが、昔は煮沸の他に「洗浄液」と「保存液」が別にあり、とても面倒だったのを思い出します。視力矯正には「レーシック」もあり、興味を持って調べた時期もありましたが、どうなんでしょうね・・・まあ、この先は年をとるばかりなので、そのうちメガネだけで良くなるのでしょうが・・・メガネもレンズ交換しないと・・・目が悪いって、本当に不便ですね。

 

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urlaub

勤務先は土日の出勤が多く、1月も2週目と3週目が出勤で、昨日と今日がようやくお休みです。昨日は仙台市内で結婚式と披露宴に出席し、幸せな雰囲気を分けてもらった感じでした。他の出席者の皆さんとマイクロバスで往復し、いつもの移動と違った楽しい時間でした。披露宴では演奏もしましたが、お昼から結構飲んだので、夕方に帰ってきてからはすぐ寝てしまい、12時間も寝てしまいました…久しぶりに仕事から解放されて心身ともに緩んだんでしょうね…

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Körperliche Verfassung

毎日飛び回っていた頃に比べて部屋の中での仕事が多くなり、かなり時間も経ちました。エネルギーの摂取量と消費量のバランスが最近は少々良くないかと…そう、体重が増えて体型が悪くなりました。ここ20年くらいの間に大きな減量を2回行いましたが、最後の減量は2010年2月に胆嚢炎を患った時で、1ヶ月のあいだに10キロ近く落としました…というよりは、多忙なために発病から入院、手術までの期間が長く、炎症を抑えるためには食事療法しかなかったというのが本当のところです。その頃は医師の命令で1日あたり1200kcal以下でがんばっていて、脂肪、糖質は厳禁でした。もし、どうしてもダイエットしたいと思う方はこの2つを一時的に中止すれば絶対に体重は落ちます。特に炭水化物は強敵で、「ご飯は太らない」なんてあり得ませんよ。炭水化物を摂らないと体に悪いと言いますが、数週間くらいであれば全く食べなくても何でもないですね。2000年頃にも減量して、80キロ位まで肥大化した体を68キロまで落とした時も、お酒と炭水化物、油を一ヶ月禁止しました(白米、うどん、白いパンなど。蕎麦や玄米など「白くないもの」は最小限食べました)なので、久しぶりにそろそろ減量体制に入ろうかと思っていますが、なかなか思うように行きません…でも、体重よりは体型が気になっているので、やはり何か対策が必要ですね。「ダイエット」じゃなくてボクサーのような「減量」です。痩せるためにはやはり「食うな、動け」です。まずはお腹を引っ込めるために飲んだ後はタクシーに乗らずに歩いて帰る…ですかね…

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これじゃなあ…

R.I.P

偉大なマエストロが神に召されました…

クラウディオ・アバド氏が昨日、イタリアのボローニャにある自宅で80年の生涯を閉じました。トスカニーニに始まる現代イタリア指揮者の系譜において、オペラとシンフォニーの両面で常に先頭を走り続け、切れ味の良い指揮とそこから生まれるクリアな響きは独特の個性を放っていました…とりわけ、80年代にミラノ・スカラ座の音楽監督時代と、90年にカラヤン亡き後ベルリン・フィルの芸術監督を務めた二つの時代が輝かしく他を圧倒しています。

1981年にはミラノ・スカラ座の引越し公演でカルロス・クライバーと共に来日し、超絶的な名演を残した事が思い出されます。私は大学4年生でしたが、昨年惜しくも亡くなったNHK交響楽団トランペット奏者、祖堅方正さんの計らいにより、幸運にもヴェルディの「オテロ」「シモン・ボッカネグラ」プッチーニの「ラ・ボエーム」そしてヴェルディのレクイエムでバンダとして演奏に参加する事ができました。レクイエムのリハーサルでは1人づつ音をチェックされ、マエストロの目の前で緊張しながら演奏したことが懐かしい思い出です。この経験が私のプロ奏者としての原点になりました。アバド氏は、ベルリン時代の2000年に胃ガンに罹り、再起を危ぶまれながら何度も復帰し、そのたびに深い芸術を示してくれました。指揮者としてはまだやり残した事もあるでしょうが、長い間の闘病生活からようやく解放され、トスカニーニやカンテルリ、そしてジュリーニ達が待つ天国で安らかに過ごされることを心から祈ります。

R.I.P (Requiescat in Pace, ラテン語で「安らかに眠れ」)

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