抜けるような青空の中、月山道路を越えて鶴岡市でスクールコンサートでした。午前、午後と2回公演を終えた後は急いで山形に戻り、明日の山形北高吹奏楽部定期演奏会のリハーサルです。アルチュニアンのトランペット協奏曲はこれまでに4回演奏しましたが、今回は長年にわたって指導してきた北高吹奏楽部との共演なので、とても楽しみです。会場の山形県民会館はデッドな響きですが、こちらも長年演奏しているので苦手感はもうありません。会場がどうであれ自分の音と音楽をするだけですよね・・・リハーサルを終えた後は今年度から新たに指揮をすることになった山形吹奏楽研究会とのリハーサルです。指揮をする機会が少しずつ増え、新たなチャレンジが楽しみでもあります・・・
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Weather
初夏らしい爽やかな天気です…年中こんな感じだと良いんですが、そんな訳には行きませんよね。でも、月夜に漂う風はわずかに冷たく感じるものの、昼間の疲れを優しく癒してくれるようです…そのうち思いっきり蒸し暑くなるのでしょうが、もう少しだけこの爽やかさが続いて欲しいと思うのは私だけではないでしょう…
Brass Quintet
久しぶりに金管五重奏の本番がありました…およそ1時間ほどのコンサートでしたが、楽しみながら演奏できました。学生時代から金管アンサンブルは大好きで、楽譜がない曲などはレコードから聴き取りして楽譜を作ったりしていました。オーケストラでの演奏以外にも室内楽やソロができるのはとても良い事ですよね。8月にもコンサートが予定されているので、楽しみです!
cold
梅雨入りしてからは妙にカラっとしたり、今日は気温が20度を割っているので寒いです・・・今日は珍しく仙台市内でスクールコンサートでしたが、体育館はひんやりしていて、寒さには強いこの私ももう1枚ジャケットが欲しい感じでした。終演後も仙台市内にいましたが、この時期にしてはとても寒かったです・・・少しの間この曇り空と低温は続くようなので、体調管理に気を遣いますね・・・
New week
月曜日になり、新しい週が始まりました。今週の山響はリハーサルが1回、コンサートが5回、金管5重奏のコンサートが1回で、他にレッスンやクリニック、指揮などがっちり多忙です。土曜日(16日)には山形北高吹奏楽部の定期演奏会(山形県民会館・16:00)で、ソリストとしてアルチュニアンのトランペット協奏曲を演奏するほか、その後のプログラムでは客演指揮もします。その翌日(17日)には山響のリハーサルを終えた後、16:00から霞城セントラルでけやきの森ブリティッシュブラスの「レインボーコンサート」を指揮します。もちろん、事務局での仕事もあるので、今週は大変です。それぞれの仕事の切り替えをしっかりして乗り切りたいですね・・・
Friendship
今日は東京フィルハーモニー交響楽団の山形公演がテルサホールでありました。「東フィル」と呼ばれるこのオーケストラは、100年の歴史を持つ日本を代表するオーケストラのひとつです。特に近年は指揮者やソリストも素晴らしい顔ぶれが揃っていて、演奏も大変素晴らしく、今後ますます注目されてゆくでしょう。
「東フィル」にも友人が何人かいますが、コントラバスの副首席奏者を務める加藤正幸さんは大学時代からの親しい同級生/友人です。東フィルに入団する前は山響にもエキストラとして何度も演奏に来てくれました。今日のテルサでの演奏を聴くことはできませんでしたが、終演後に会いに来てくれて、久しぶりにたくさん話をすることができました。お互い歳をとりましたが、この世界で共に頑張ってこれて感慨深いものがありました…
Saturday
朝から吹奏楽クリニック、お昼はVWのディーラーに車を入院させ代車を借り、午後は東北文教大で授業、夕方からはけやきの森ブラスのリハーサル…一日が終わるのが早いです…丸一日何もしない日はいつかなあ…
Tokyo
今日は演奏を離れ、東京・国立劇場内にある日本芸術文化振興会で、文化庁が日本国内のオーケストラに行っている助成についての意見交換会に行ってきました。文化庁は1980年代から本格的にオーケストラを含む文化支援を強化し続け、現在は多くのオーケストラがさまざまな形での助成を受けるまでになりました。諸外国、とくにヨーロッパなどに比べれば日本の場合、国家予算における文化予算の位置づけがもう一つという感は否めませんが、これだけの税収の落ち込みの中、助成の減少を最小限に食い止めている姿勢は高く評価できると考えます。昨年の震災以降、いわゆる「心のケア」に音楽が大きく役立つことは広く知られるところですが、それを含めてより多くの方々へ質の高い音楽を届けられるよう、オーケストラ側もさらに努力を続けなければなりませんし、行政、自治体も文化振興をより進める施策をとっていただきたいと思います・・・
Oak
三笠宮寛仁親王が逝去されました。「ヒゲの殿下」として国民にしたしまれた寛仁親王は、生涯にわたって福祉や文化、スポーツ振興に力を注がれたほか、剛直で豪放磊落、しかし繊細という魅力あふれるお人柄で、多くの功績を残されました。それについては報道などで数多く伝えられていますので、あらためて記すことはしませんが、殿下と音楽について多くの方がご存じではない点についてだけ、述べさせていただきたいと思います。寛仁親王は、そのお印である「柏」(Oak)にちなんだ「柏朋会」という慈善団体の会長を務められ、毎年東京都内で「愛のコンサート」を長い間開催されてきました。山響の私たちもそのことは存じていませんでしたが、昨年の震災を受けて、殿下から「東北の音楽家を呼びたい」とのお申し出があり、柏朋会の音楽監督で私たちとも長いお付き合いのある神津善行先生を介して私たち山響が昨年10月26日に「愛のコンサート」に出演させていただくことになり、文化庁公演のツアーの中、東京のメルパルクホールで神津先生の指揮の下、殿下に演奏を聴いていただくことができました。当時すでに体調がおもわしくなかったにも関わらず、身を乗り出すように山響の演奏を聴いていただき、終演後のレセプションでは22時過ぎまで楽団員一人一人と言葉を交わされ、写真撮影にも快く応じていただいたり、楽員一同大変感激しましたし、私も個人的にお話しさせていただき、そのお人柄と文化を愛する姿勢に大変感銘を受けました。殿下は山響の演奏を心からお褒め下さり、「ぜひまた聴きたい」とおっしゃってくださいました。残念ながらそれはもう叶いませんが、嬉しそうに微笑む殿下のお姿は私たちも決して忘れることはありませんし、殿下が願った「多くの人々に幸せを」という理念を私たち音楽家も引き継いでゆくことが、文化人としての大切な使命ではないかと感じています。あらためて謹んでご冥福をお祈りいたします。寛仁親王殿下、ありがとうございました。
Volkswagen
ヒトラーの依頼でポルシェがVWを設計したとき、まだポルシェは自分の自動車会社を立ち上げてはいなく、ダイムラーやアウトウニオン(後のアウディ)で設計などを担当していました。これは推測ですが、もしドイツが戦争をしていなかったら、ポルシェはポルシェ社を立ち上げ、そのモデルの一つとしてVWを生産したでしょう。そして、その上級モデルとして356や911をラインナップしたと考えるのが自然ではないでしょうか。結局VWは政府直属の会社として設立され、戦後もEUの発足までは半官半民の「公社」として存在し続け(現在は普通の企業です)私企業のポルシェとは別の会社になってゆきます。
戦後、生産されたVWは、1950年代から世界中で大成功し、日本にも1952年から輸入されます。また、特にアメリカで大ヒットし、大きなエンジンと重い車体でガソリンをがぶがぶ喰うアメ車に対してVWはとても知的に見え、ちょうど現在プリウスがもてはやされているように、VWに乗ることがエコでクリーンとのイメージが出来上がってゆきます。ポルシェはVWを設計するときに、一台売れるごとに自分にマージンが入るよう当時の政府と契約を交わしていましたが、これが戦後も有効であり続け、VWの大ヒットとともに戦後設立されたポルシェ社にも大きな利益をもたらし、911などの高性能スポーツカーを設計、開発するための十分な資金になってゆきます。1970年代になりVW Beetleが生産末期に入る頃、ポルシェ社では新たなモデルを設計し、VW社にその生産を提案しますが、これもマージンを新しいモデルでも確保しようと考えたのでしょう。(続く)
写真:左がポルシェ356、右がVW Beetleです。よく似ていますよね・・・


