「アマデウス」への旅と題されたモーツァルト定期も、五年目になりました。たくさんの作品を演奏してきましたが、なかなかモーツァルトに近づく事ができません。それどころか、映画「アマデウス」のモーツァルトのようにケラケラ笑いながらどんどん遠くに行ってしまうようにも感じます。明日も良い演奏会になると思いますが、私たちの演奏を彼が聴いたらどう思うのでしょうか…時々そんな事を考えながらモーツァルトの影を今日も追っていました…
Rehersal
今日から合唱団「山響アマデウスコア」と4人のソリストも加わり、21時まで時間いっぱいのリハーサルを行いました。合唱団は言葉がとても明晰で、よくトレーニングされた感があります。明日はテルサのステージでリハーサルなので、本番に向けた細かい仕上げができそうです。交響曲も繊細なニュアンスを出そうと、指揮者だけでなく首席奏者を中心にアイディアがどんどん出せれ、クリエイティブなリハーサルです。
ところで、昨日の事を付け加えますが、FM山形で「Sunday Prism」の収録がありました。10月2日と9日分の収録で、初めて山響からヴァイオリンの今井さん、チェロの茂木さんのお二人をゲストにお招きしての収録でした。内容はネタバレになるので、当日のお楽しみです。写真はスタジオでの収録の様子です。
Amadeus
モーツァルト定期「アマデウスへの旅」のリハーサルが今日から始まりました。今回は珍しく全曲出番で、初期の交響曲を2つとミサ曲が1つです。ミサ曲ではトランペットを4本使うので、ナチュラルトランペットが壮観に4本並びます。多忙を極める飯森さんも元気いっぱいにオーケストラを統率し、モーツァルトの音色が広がります。明日からはミサ曲に合唱とソリストも加わるので、とても楽しみですね!
News Zero
今日の日本テレビ系、News Zeroで仙台フィルの特集がありました。200回もの被災地支援コンサート…きっと、たくさんの方々が仙台フィルが奏でる音楽を聴いて心にエネルギーを感じたんだと思います。山形県も山響もいつも心を共にしていますよ!
Cool wind
今日は山形県村山地方でスクールコンサートが2ステージありました。風が涼しく、とても心地よい雰囲気で演奏できました…といってもみんなは「寒い」と言っていましたが…先週までが残暑や台風だったので、一気に寒くなったように感じるのは確かです。でも、この静かな感じは私は大好きですね…
Keyaki BBB
今週で9月もおしまいですね…今月は何日山形にいたのかな、っていうくらいツアーの毎日でした。しかも猛暑が続きホントに消耗しました。台風が過ぎてからはようやく気持ち良い風が漂い、秋らしくなってきました\(^o^)/
今日は受験生のレッスンをして、夕方からは「けやきの森ブリティッシュブラス」のリハーサルを指揮しに行きました。本番は10月16日の14時から文翔館議場ホールです。リハーサルを重ねる度に響きが良くなり、オルガンのような音色がします。音楽性も豊かですし、本番が楽しみですね!
ぜひ聴きにきて下さい!
Eyesight
今日は久しぶりの休日…この時期ならではの個人的な所用が少しあったのものの、概ねゆっくりできました。日頃は仕事が終わってコンタクトレンズを外す時、「お疲れ様〜」と独り言を言ってレンズをゴミ箱に捨てる(毎日交換レンズなので)とプライベートモードに変わりますが、今日は一日中メガネで過ごせました。それはそれで良いのですが、メガネのままではトランペットを演奏する時はもちろん、指揮をしたりレッスンをする時にも不具合が生じます…実は2年ほど前からコンタクトレンズ(近視矯正のみ)を付けながら老眼鏡も使うようになり、不便極まりない毎日です…今日の新聞にはある実験では光速よりニュートリノの方が到達が早く、アインシュタインの相対性理論についての解釈が載っていましたが、そんなテクノロジーがあるのであれば、近視や遠視の完治くらい何とかならないのかなあ、と思ってしまいます……
The equinoctial week
昨日の本番はどの曲も良い出来で(レオノーレももちろん無事に演奏できました…)、指揮者の大井さんの手堅い指揮ぶりと細やかな音楽性が、オーケストラから明晰な響きを引き出していたように思います。ホールも良い響きを持ち、会場の空気感が心地よかったと感じました。今日は那須からの移動日で、演奏のお仕事はお休みです。来週は近郊でのスクールコンサートが数回と、10月1日のモーツァルト定期に向けたリハーサルです。今日はお彼岸(The equinoctial week)の中日、日々涼しさが増し、集中して音楽に取り組むには良い季節になってきましたね。
Leonore 2
山響に入団後、「レオノーレ序曲」を演奏する機会はなかなかやって来ませんでしたが、1992年12月13日に秋田県能代市で第九を演奏する事になり、その前プロで「レオノーレ序曲」が入りました。当時私は主に第一トランペットを演奏していたので、序曲では井上さんに第一パートを担当してもらい、第二パートにエキストラ奏者を入れ、私は「バンダ」と呼ばれる舞台裏のファンファーレを担当しました。
少し話がそれますが、この「バンダ」にはいろんなオーケストラで面白い話があり、最もすごいのは1960年代初頭に東京文化会館がオープンした頃の話です。国内の某メジャーオーケストラで「レオノーレ序曲」を演奏する事になり、有名な首席奏者の某氏が舞台裏で待機し、曲が進みいよいよファンファーレを勢いよく吹き始めたら、ちょうど同じような場所にいた会場の警備員に「ちょっとあんた!今本番中なんだからこんなところでラッパ吹いちゃダメダメ!!」と言われ、楽屋の方に連れて行かれそうになった事があったそうです。もちろん実話ですよ。ステージマネージャーが慌てて飛んで来て何とか収まったそうですが、この話にはいろんな尾ひれがついていて、「羽交い締めにされながら吹いた」とか、「逃げ回りながら吹いた」、「吹けなかった」とか様々なバリエーションがあります。今ではバンダのそばにステージマネージャーが付いていますし、もちろんどこのホールでもこんな事は起きません。
さて、山響の話に戻ります。リハーサルではバンダの位置を決めるために何度かファンファーレを吹いて、目張り(床にテープを貼り目印にする事)をして全てOK!第九のリハーサルも要領良く終わり、本番を迎えるだけになりました。
本番では会場があまり大きくないので、私は舞台上手袖に立ち、ステージの反響盤の隙間からわずかに見える指揮者を頼りに出番を待っていました。曲が進み、出番が近づいてくると次第に周りが騒がしくなって来ます…序曲の後の第九に備えて合唱団が舞台袖に集まり出したのです。リハーサルではこんな事はなかったので、少し驚きましたが、気にしてもしょうがないので演奏を聴きながら出番を待っていました。そして出番まで1分ほどだったでしょうか、演奏の準備のために椅子から立ち上がり、楽器を構えようとした瞬間、合唱団の女性(比較的高齢)から、「あの〜こさでラッパさふぐんだが?」と話しかけられ、「はい」と答えたら、その女性は近くにいた合唱団の皆さんに向かって、「お〜い!今がらこごさでラッパさふぐんだど!みんなでこっちゃさぎてみるべ!」と本番中なのに大きな声でみんなを呼んだのでした。合唱団の皆さんは悪気はなく、ただ面白そうだと思ったのでしょう。私の周りはあっという間に「なまはげ」のような秋田県民に囲まれてしまい、指揮を見るための反響盤の僅かな隙間も埋め尽くされてしまいました。その時点で出番の4小節前でした。私は「指揮見えないからどけて下さい、お願いします」と必死に小さな声で叫びますが、「なまはげ」の皆さんには聞こえなかったようで、逆にどんどん人が増えて来ます。「わあああ…どうしよう¥&@#%^€$£( ̄▽ ̄)@><~|\」と、その時異常事態を察知したステージマネージャーの大塚さんが舞台下手から現れ、「なまはげ」を追っ払ってくれました。で、勢いよくファンファーレを吹いたら、「おおおおおお〜」と皆さんが歓声をあげ(良く客席に聞こえなかったと思います)大喜びしています…「もう一回あるんだから静かにして下さい…(T_T)」そして2回目も無事に吹き終え、疲労困憊した私は大盛り上がりしている「なまはげ」の皆さんに「いがっだなあ」「んだなあ、こいは(これは)すごい」と称賛され楽屋に帰りました… 後半の第九では演奏も合唱団も素晴らしく、充実した演奏会でしたが、演奏中も序曲の事件を思い出すと可笑しくて仕方なく、笑いをこらえるのが大変でした。東京文化会館の「レオノーレ事件」のような事がまさか自分の身に起きるなんて、思いもよらなかったです。その後しばらくは能代市での公演は続きましたが、次第に財政難で継続が困難になったと聞きました。あの時「なまはげ」のように見えた皆さんは今はどうしているでしょうか… 今日の「レオノーレ序曲」は無事に演奏できるでしょうか…この曲を聴くとフィラデルフィア管弦楽団の鮮やかな演奏と、能代市民会館の舞台袖を今でも思い出します。
Leonore overture
台風15号はまもなく東北を抜けて行きそうです・・・被災地が心配ですね。今日はオープンリハーサルでしたが、暴風の影響でしょうか、お越し下さった方は10人ほどでした。でも私たちの真剣なリハーサルを悪天候の中わざわざ観に来て下さり、うれしかったです。
ところで、明日の一曲目に演奏するベートーヴェンの「レオノーレ序曲 第三番」には忘れられない思い出があります。そのうちの一つをご紹介しますね。
1981年、武蔵野音大の4年生だった私は、練習と勉強に明け暮れる毎日で、3年生になった頃から都内のオーケストラなどでエキストラの仕事をさせていただけるようになったり、少しづつプロの世界への手応えを感じ始める毎日でした。エキストラの仕事が増えると、収入の助けにもなり、東京にいながらもなかなか聴きに行けなかった外来のオーケストラの公演にも行けるようになり、音楽学生として充実した日々を送っていました。そんな中、6月1日に東京文化会館でフィラデルフィア管弦楽団の日本公演を久しぶりに聴く機会が訪れ、長い間このオーケストラのファンだった私は大喜びで公演日を待っていました。当時、サントリーホールはまだなく(1986年秋のオープンです)クラシックいえば「文化」とか「上野」とよばれた東京文化会館が圧倒的な存在感を誇り、まさにクラシックの殿堂と呼ぶに相応しい場所でした。公演当日(日付が思い出せません・・・)のプログラムは、ユージン・オーマンディの指揮でベートーヴェンのレオノーレ序曲と交響曲第三番「英雄」、休憩をはさんでドビュッシーの「牧神の午後」とラヴェルの「ラ・ヴァルス」という日本のオーケストラでは今でも絶対あり得ないようなプロです。アメリカのなかでもフィラデルフィア管弦楽団はこのようなプログラムをよく組み、リッカルド・ムーティの本番でも、「英雄」が一曲目で、休憩の後はラヴェルの「スペイン狂詩曲」、「ボレロ」という斬新なプロがありました。
いよいよ本番です。フィラデルフィア管弦楽団は、当時オーマンディが音楽監督を退き、リッカルド・ムーティが新音楽監督としての初海外ツアーで、楽団員は当然ながら全員がオーマンディ時代に入団したベテラン揃いです。万雷の拍手に包まれてオーマンディが舞台に登場します。「レオノーレ」は、最初のGの総奏が重要ですが、オーマンディは(実際はとても小柄なおじいちゃん、といった感じでした)クルクルッと円を描くように指揮棒を動かしましたが、その瞬間に音は出なく、その一秒後に「バン!!」と完璧なアインザッツで曲が始まりました。コンサートマスターのノーマン・キャロルが大きな合図をしたわけでもなく(彼はほとんど動かないコンマスとして有名です)楽員はみんな「こんなの普通だぜ」みたいな表情をしています。その後もオーマンディは大振りもせず、淡々と指揮してゆくのですが、時折大きな動作をするとオーケストラの音が瞬時に変わり、その色彩はホールの空間をぐるぐる廻るようで、空気が動くかのようでした。これは同じ東京文化会館で聴いたシカゴ交響楽団ともベルリンフィルともウィーンフィルとも違う豊かな音でした。こうなると、よく言われる「アメリカのオーケストラのベートーヴェンは・・・」みたいな批評家的な見方なんてどうでも良くなります。とにかく古典だろうが何だろうが、豊かな響きでたっぷり聴かせるというスタイルが徹底していて、弦楽器の編成も、18-16-12-12-9で、管楽器も重複した4管で、降り番の奏者以外は全員舞台にいました。中間部の有名なトランペットの舞台裏で演奏するファンファーレでは、2回演奏するうちの1回目は舞台下手(しもて)の遠くで演奏され、2回目は上手(かみて)の近くで演奏され、2回のファンファーレを2人で違う場所で演奏させるという、4人のトランペット奏者をうまく配置した(オーケストラ内では2人)良いアイディアでした。また、難所として知られる弦楽器の速く細かい部分も、オーマンディは第1バイオリンに向けて小さな合図をしただけなのに、弾けるような瑞々しいサウンドが素晴らしかったです。とにかく、完璧なアンサンブルと弦楽器のぶ厚い響き、木管の色彩感、首席トランペットのフランク・カデラベックをはじめとする金管セクションの冴え渡る響き・・・オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団は、1978年に初めて聴きましたが、その時よりも私自身の音楽的な経験が増した分、指揮や演奏の凄さがよくわかり、忘れられない経験となりました。今でもこの曲を演奏するとき、30年前のこの体験が鮮やかによみがえります。明日は山響でこの曲を演奏した時のエピソードをご紹介します。これも「あり得ない」ような話です。お楽しみに!