さまざまな事情で一ヶ月以上更新を休んでしまい、大変申し訳ありません。この間多くの方々からご心配をいただき、このサイトをとてもたくさんの方に楽しんでいただいていた事を心から実感しました。休載した事情はごく個人的なもので、病気や震災関係ではありませんが、どうしても文章をきちんと書ける状態になかったものですから、気持ちが平穏になるまで一度お休みをいただこうと考えました。その間も「facebook」にはごく簡単な投稿を時折書いていました。今後は新たな気持ちで再開いたしますので、どうかこれまで以上にこのサイトをお楽しみいただければと思います。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
佐藤裕司
遂に達成です!今日10時3分、名古屋からの帰路途中、中央道土岐IC付近でした。7年間で30万キロですから、年間平均4万キロ以上です・・・1日の最高走行距離は900キロ、年間では5万キロの年が一度だけありました。山響での仕事ももちろんですが、MUJの会議などでは昼間のスクールコンサートを終えてから東京へ日帰りが数え切れないくらいありました。もちろん翌日は朝から本番です。走った地域は北海道(釧路や実家の名寄)から兵庫県、京都府までの範囲で、もはや通常の個人ユーザーの使用というよりは営業車ですね・・・でも、サーヴィスマニュアル通りに整備をきちんと行なっていたので、故障は全く起きず、消耗品の交換のみでここまで走り続けられましたし、VW山形中央のスタッフも素晴らしい方々で、大変お世話になりました。カスタマイズはエンジントリートメント剤として知られている「マイクロロン」とビルシュタインのBTSキットを入れたくらいで、エンジンオイルも説明書通りに15,000キロごとの交換サイクルを最後まで保ち、補充することもありませんでした。また、いくつもの仕事を抱える中で、車の中で一人静かに過ごす事は大切な気分転換でもあり、私にとって車は「自由の象徴」だったと思います。VW Golfには 1st、2nd(2台)、3rd、4thと歴代のモデルを乗り継いできましたが、ドイツの精密機械らしい正確で効率のよいメカニズムと圧倒的な走行安定性は素晴らしいものでした。4thは明日新型の6thと交代し退役しますが、感謝の気持ちでいっぱいです。Danke schön. Ich danke dir herzlich!
今日は先月末に予定されていたMUJオーケストラ協議会の会議のため、名古屋まで来ています。東北新幹線はまだ全通していなく、飛行機も予約でいっぱいだったため、車で山形からドライブしてきました。山形〜国道113号経由で小国〜荒川胎内ICから日本海東北自動車道〜北陸道〜上信越道〜長野道〜中央道〜東名道と約650kmを走破し、約7時間半で到着しました。愛用のVW Golf 4は好調で、今日も快適な行程でした・・・累計距離は今日までで299945kmで、明日の帰路、名古屋から土岐にかかる頃で300000kmを達成します。実は、すでに2月に新しい車を契約し、3月中旬の納車予定だったのですが、震災で予定が全く変わり、今月にずれ込んでしまいました。300000kmの達成も当初は3月20日頃と見ていましたが、この状況では仕方がありませんね・・・車があるだけでもありがたいと思わなければなりません。今の車は明日記録達成の後、山形に戻り明後日に第一線を退役し新型と交代します。幸いに秋田の親友の息子さんがVW系のディーラーにメカニックとして就職されたので、退役後は彼に譲ることになっています。新人メカにとっては格好の車でしょう。2004年5月に購入して以来、私の相棒として北海道から兵庫県まで7年間で300000kmをトラブル無く走り続けたのは素晴らしいですね!明日は感謝の気持ちを込めてファイナルドライブを楽しもうと思います。
とここまで書いたら東北、関東地方に強い地震がきました。私の滞在している名古屋のホテルの部屋は8階ですが、ゆっくり大きく揺れています。福島県、茨城県の皆様、どうかご無事でいて下さい。
気がつけば4月も10日になってしまいました・・・地震から1ヶ月経ちました。7日には大きな余震があり、私は3月11日の本震を経験していないので、かなり驚きました。7日の地震が起こった時は地下のお店にいて、揺れというよりは轟音の方が凄かったです。せっかく復旧し始めた道路やライフラインは、また寸断され被災地はもちろん、山形に暮らしていても本当に精神的に疲れます。山響の公演も今年度はキャンセルが相次ぐ事が予想され、収支に深刻な影響が出る事も考えられますし、さらに仙台フィルでは公演会場が被災していて、主催公演ができない状況が続いています。私たちはプロのミュージシャンですから、ベストを尽くして良い音楽を提供するのが仕事ですが、この状況ではさすがに気持ちを前に向ける事が難しい時もあります・・・でも来週は新年度のオープニングコンサートで、ブルックナーの第6番を演奏します。全楽員の気持ちが一つになり、心からの演奏ができるよう準備を進めたいと思います。
昨日は震災後初めて上京しました。東北新幹線がまだ復旧していないため、車で(いつもですが)東北道を走りましたが、路肩が落ちていたりガードレールが曲がっていたり、段差もたくさんありました。そんな道を自衛隊、警察、救急車などを中心に全国各地のナンバーが走る光景は普段とは明らかに異なる雰囲気があります。心配していた燃料補給も震災前と変わりませんでしたが、高速のガソリンスタンドでもハイオクガソリンが163円と、山形では170円近いスタンドに比べ安かったのは、山形も被災地域の一つであるということなのでしょうか・・・・
ドライブする事およそ4時間で都内に入り、ヤマハ銀座店のアーティストサーヴィスで今月の定期で使用するヤマハ製のロータリートランペットYTR-948を受け取り、スタッフと震災の話をしているうちに東京都交響楽団のトランペット奏者である中山隆崇さんが現れ、久しぶりの再会に少しの間でしたが話ができました。その後、MUJ本部に移動し、東北の震災状況や先日のアムステルダムでのオーケストラ会議の報告などで過ごし、山形に戻りました。都内では桜の開花が少し遅れているのでしょうか、銀座から新宿までの間では国会議事堂近くと、国立劇場付近で開花していましたが、いつもより少ない感がありました。こんな時期だからこそ、きれいな桜を見て心が和む事も必要です。満開が待ち遠しいですね。
今日は雪がチラついています。そういえば昨年4月は桜が開花する頃から再び雪に見舞われ、満開の桜に雪が覆いかぶされようになりました。最後に積雪を観測したのが4月17日で、これは最も遅い記録です。
今日の山形はガソリンスタンドの列もなく、従業員にも余裕があるようで、洗車やタイヤ交換など通常の業務も行なわれていて、先週の今ごろとは大違いです。しかし、仙台から買い出しにきているのでしょうか、県内資本のスーパーで、地元の食材を多く提供していて品不足も最小限で済んだ「ヤマザワ」には宮城ナンバーや仙台ナンバーの車をよく見ます。仙台市内では電気が復旧したものの、水道やガスはまだ不通の地域もあり、完全なライフラインの復旧はしばらく先のようです。
連日報じられる痛ましい状況や、予断を許さない原発の惨状を見ると、騒いで遊んでいる場合ではないのはもちろんですが、何でもかんでも「自粛」というのはいかがなものでしょうか。また、「自粛」(Self-restraint)というのは本来自らの意思で行われるべきものですが、今の状況はそうではなく、暗に自粛を「強要」しているようにしか見えません。日本人は組織への帰属や依存心が強く、「人と同じ」状態に自らを置く事で安心する傾向にあると言われますが、それは同時に「自分たちと同じものではない」事を拒絶する事をも生み出しかねません。人生観、価値観というものはあくまで個人的なものです。このような時期だからこそ氾濫する情報に惑わされず、どう生活するべきかを一人一人が考えなければならないと思います。
4月です!今日の山形は14度くらいまで気温が上がり、朝は少し寒かったようですが、午後にはすっかり春らしい風が漂っていました。街をゆく新入社員たちの緊張の中にも希望にあふれた表情からは、痛み傷ついた日本を立ち直らせようとする気持ちが伝わってきます。山響の演奏活動は少しの間お休みですが、私は楽団事務局で事務作業をして過ごし、こちらも本日付けで新たに事務局に加わった2名の女性職員たちが緊張の面持ちでパソコンに向かっていました。オーケストラでは一般企業のように毎年新人がたくさん入ってくるような事はなく、人の出入りは静かなものですが、新しい職員が少しでも加わると雰囲気が変わります。今年度は楽員にも6月から新しいクラリネット奏者が加わる他、バイオリン、チェロやフルートなどのオーディションも予定されていて、オーケストラの音も少しづつ変わってゆくでしょう。長い間培ってきたサウンドに新しい色が加わるとどんな響きになるんでしょうか・・・楽しみです。
気がつけば3月も明日で終わりです。つらい事ばかりの今月でしたが、山形市内からは雪も全て消え、例年ならばスタッドレスタイヤをサマータイヤに履き替える頃ですね・・・
たまには楽しい話題を書かなければいけませんね。今日のタイトルであるNiflec(ニフレック)とは、経口腸管洗浄剤という薬品で、分かりやすくいうと「下剤」です。今月は昨年3月に胆嚢切除術を受け、一週間ほど入院してから一年が過ぎたので、血液検査を始めとするさまざまな経過観察を行ないました。今日は大腸内視鏡を使用しての検査で(胆嚢炎とは直接関わりはありませんが、以前から定期的に検査しています)昨日夜に錠剤の下剤を飲み、今日は朝7時からこの「ニフレック」を飲み胃腸内を完全にクリーンにして、検査に備えました。ニフレックは顆粒の薬品で、あらかじめ容器に密閉されて事前に医師から処方されます。今朝は容器内に2リットルの水を入れて撹拌し、約2時間かけてゆっくり飲んでゆきます。検査は午後からですが、それが終るまでは当然飲食禁止です。ちなみに私は重度の便秘症で、2〜3日便通がない事はいつもの事で、一週間も出ない事も時々あります。山響の同僚にも同様の方が数名おり、そんな私たちは「便秘」の事を「渋滞」と呼んだりしています。午前9時頃にニフレックを全て飲み終え(これが、とても美味しくない・・・)、それでも一時間ぐらい腸は無反応でしたが、ようやく11時過ぎに「渋滞」が一気に解消され、「出口付近」は大変な状態でした・・・でも、久々の実に心地よい時間を過ごし、身も心もすっきりして検査に向かいました。検査は手術台のようなベッドに横になり、目の前にはモニターが設置されていて、検査中の画像をはっきりと観る事ができます。検査中はおそらくカメラと別に水を流すしくみになっているようで、お腹がごろごろというか、ぼこぼこします。モニターに映し出される自分の腸管は病変も全く認められず、きれいな色をしており、それはまるで焼肉屋でいつも食べる「ホルモン」と寸分たがわぬように見えました・・・検査後のレクチャーでも、大変良い結果との事で、先んじて行なった血液検査もVG(very good)で、血液もさらさらでした!体重も入院前よりもさらに減っていて、一年間良くがんばりました、という感じです。とはいえ、相変わらず飲む事が多い私は、50代半ばに向けてさらに体調をコントロールしなければならない・・・のかも知れません。2週間後は胃カメラを使った検査が待っています。問題が見つかりそうな感はありませんが、健康で過ごせるのは幸せな事ですね。良かったです(^O^)
震災から2週間が経ちました。連日報じられる惨状と原発の予断を許さない状況は、見聞きするだけで不安とストレスがたまっていきます。被災された方々の苦しみはこんなものではないとは思いますが、敗戦後以来であるこの未曾有の状態からどのように立ち直ってゆけば良いのでしょうか・・・
山形市も少しづつ物流が動き始め、今日は今月5日に成田空港に向かうために給油して以来、ガソリンを買う事ができました。私は市内中心部に住んでいるので、徒歩と自転車などで大半の用は済んでしまうので、ゆとりが出来るまでは給油せず、エコを心がけてきましたが、車を使わなくなって気がついたのは、車を使わずに済む生活は意外と多くある事と、やはり車をはじめとする機械や電気のありがたさです。文明が発達し、数え切れないほどの発明があり、今は私たちの周りはテクノロジーでいっぱいですが、それを活用するのもムダにするのも私たち人間の考え方一つです。ほんの少しの事でも多くの方々が気にすれば変化を生み出す事もたくさんあるはずです。失った物を取り戻す事は長い時間を伴いつつもいつの日か「復興」として達成されるのでしょうが、一人一人が「豊かさ」の意味をより深く考え、実行することが新たな世界を創ってゆくために求められると言えるのではないでしょうか。
大地震から一週間経ちました。例年であれば桜の便りが聞かれ始める頃なのに、今日は無情にも真冬並みの寒波です・・・被災地の方々の苦労を思うと胸が張り裂けそうですね・・・また、福島第一原発で必死の作業に当たられている自衛隊、警察を始めとする方々、米軍を始め各国の救助隊の方々には本当に頭の下がる思いです。今は少しでも状況が好転するようただ祈るばかりですが、省エネや買い控えなど、少しでもできる事をそれぞれが行う事も援助の一つでしょう。冷静になって行動したいものです。
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