今シリーズの本番を三条市内で終え、山形に帰る・・・ではなく、夕方からのオーケストラ協議会の会議に出るために関越道で東京に向かいます。三条〜新宿のMUJ本部までは290kmと、21日の900kmに比べればはるかに楽ですが、時間に余裕があるのでゆっくり(それでも、まだ「速い」かもしれませんが)走ります。関越道練馬出口には15時頃に到着しましたが、18時からの会議までにはかなり時間があるので、どうしようかと考えていたら、目白通りと環状七号線が交差する「豊玉陸橋」に指しかかりました。ここは、学生時代に住んでいたところで、昨日の新潟ではありませんが、とても懐かしい場所です。昔を思い出したら急にいろいろ見たくなり、大通りから住宅街へ入ります。昔のままのものは少なく、新しいマンションやコインパークなどが立ち並んでましたが、私が住んでいたアパートと大家さんの邸宅はまだ健在でした。さすがに30年も前なので老朽化が激しそうでしたが、往時をしのばせるに充分な雰囲気を醸し出していました。さらに、大学(武蔵野音楽大学)のある「江古田」に向かい、久しぶりに大学と「音大通り」と呼ばれるエリアを散策し、学生時代と同じ匂いのする空気に触れ、大いにリフレッシュすることができました。その後、新宿に移動し、まだ時間があるのでオフィスでこの文章を書いています。東京には2週間に一度位のペースで来ていますが、昔の思い出のあるエリアにはなかなか行く時間がなく、今日はとても嬉しい一日です。この後も気分良く仕事ができそうですね。
日別アーカイブ: 2010 年 6 月 23 日
Roots
昨日は名古屋から戻って4時間位しか眠れなかったけど、不思議と睡魔に襲われる事なく一日を過せました。今日は雨も降らず、新潟平野にどこまでも広がる景観が自然の豊かさを感じさせます。新潟県には山響入団の1984年以来、数えきれないほど訪れていますが、ここに漂う風にはいつも親しみを覚えます。というのも、北海道名寄市(私が長く過したのは合併前の「風連町」です)」の実家に代々続く「佐藤」の源流は、ここ新潟県にあるのです。明治34年(1901年)に新潟県南蒲原郡(現・見附市)から北海道雨竜郡雨竜町(現在の名寄市近郊)に入植した祖先から数えて4代目が私で、私の伯父にあたる(つまり、父の長兄)3代目長男は、現在も見附市にある先祖の菩提寺と今も残る親族をよく訪れていました。今日も午後の本番があった十日町市から117号線をドライブしながら宿泊地の三条市まできましたが、三条市のすぐそばに見附市があります。実は山響でも見附市で公演した事も数度あるのですが、いつも時間がなくゆっくり見附市に滞在する事ができませんでした。伯父は農業の傍ら毎年のように見附を訪れ、帰りに山形に寄ってくれたものです。いまは伯父も亡く、私の故郷と見附市を結びつけられるものは私しかいなくなりました。また、これも不思議な偶然ですが、明治33年(1900年)、私の実家の名寄市に初めて入植の鍬入れをしたのは、山形県藤島町(現・鶴岡市)の方々で、今も名寄市には当時の方々が造られた「山形神社」と呼ばれる神社が残されています。普段は特に意識しませんが、新潟〜北海道〜山形の時の流れを共有する私が頻繁に新潟県にいられる事には不思議な縁を感じます。来月も山響で新潟県内を廻りますが、ぜひ見附市を訪れて、遠い昔日へのさまざまな想いを亡き先祖と共に偲びたいと思います。