The “SAKURANBO” Concert

毎年6月は演奏旅行などで遠出する事が多く、今月も新潟をはじめとする音楽鑑賞教室やテルサ10周年公演、そして「さくらんぼコンサート」と怒濤のごとく過ぎてゆきました・・・今年も半分終ろうとしているんですね・・・

さて、少し遅れましたが、東京公演が大成功に終わり、昨日は今月唯一のオフだったので、都内でゆっくりしてから深夜に山形に戻ってきました。でも今日は上山エコーホールで午前、午後と音楽鑑賞教室で、そのあとクリニックとレッスンで、「閉店」は21時過ぎと相変わらず過酷なスケジュールです。

「さくらんぼコンサート」は、もう何回目になるのか、分からないほどになりました。たしか最初は黒岩先生だったような・・・阪さんでの公演もありました(私は私用でお休みしていました)飯森さんがシェフ(オーケストラの世界では、常任や監督のことを「シェフ」と呼びます)になってからは、観客動員も次第に増え、今回は公演一ヶ月前に売り切れという、地方オケの東京公演ではまずあり得ないような事態になり、いつもは山形らしく若干のんびりペースの楽団事務局も蒼白になって事務作業に追われていました。25日に大久保でのリハーサルを終えたあと、私は渋谷に向かい、都内でがんばる弟子達と毎年恒例の飲み会で盛り上がり(本番前日なのに深夜まで・・・)鋭気を養い、弟子達と元気を分かち合いました。

26日、本番当日は爆睡できたことで前日までの疲れ(体の半分くらいはまだ新潟県にいるようでしたから)も取れ、臨戦モードができ上がっています。ゲネプロは14時30分から始まり、メンバーもリラックスした中にも集中力が高まった表情を浮かべています。チューニングのあと、飯森シェフが体一杯のアクションを起こすと同時に、今回私が唯一1stを演奏するベートーヴェンの「レオノーレ序曲}の最初のG音が力強く響いた瞬間、ホールが楽器となったように山響のサウンドで満たされます。このホールは、必ずしも音が出しやすい訳ではありませんが、そんな事はもう誰も気にしていません。一通りプログラムを通しながら、サウンド、フレージング、バランスを整えてゆきます。ショスタコービッチのピアノ協奏曲ではソリストの河村さん、トランペットの井上さんも好調で、5月の定期での演奏と比べてより緊迫感のある音楽を創ってゆきます。ここが「協奏曲」の一番面白いところかもしれません。チャイコフスキー4番では管楽器と弦楽器のバランスをあらためて吟味し、細部を最終的に仕上げます。確かに山響のサウンドは格段に洗練度が上がったかもしれませんが、この曲をわずか36人の弦楽器群で演奏するためにはセンシティヴなアプローチが必要です。

ゲネプロは予定よりも早く終わり、今回は家まで着替えに帰る訳には行きませんが、それでも必ず一度ホールから出ます。今日のために山形から聴きにきてくれた大切なゲストとカフェで軽食をとり、談笑します。本番一時間前に楽屋に入り、着替えを済ませ軽くウォーミングアップをしながら集中を少しづつ深めてゆきます。本番の30分ほど前にはほぼ全員がバックステージで準備を終えています。15分前には飯森シェフによる山響の演奏会では恒例になったプレトークが始まります。飯森さんは最近、吉村山形県知事から「おいしい山形親善大使」に任命された事もあって、「おいしい山形」と書かれたオレンジ色のハッピを燕尾服の上に着込んでステージに現れました。私たち楽団員はバックステージのモニターでその様子をうかがっていましたが、本当に客席が満員で、山響に対する注目度の高さをあらためて実感しました・・・

プレトークが終わり、ステージマネージャーの大塚さんの合図で楽員が’舞台に登場します。ひときわ大きな拍手でオーケストラを迎える満員の聴衆からの熱い視線が突き刺さるようです・・・特に、ステージ脇のバルコニー席の聴衆は、身を乗り出しているほどで、そのほとんどが山響に初めて接する方々なのでしょう、通常より少ない弦楽器群を見て驚いているのがよく分かります。全員が整列し終えるとコンサートマスターの犬伏さんが登場し、客席に一礼し、オーボエの第一席に座る佐藤さんに向かってチューニング音の開始を促します。佐藤さんの奏でる伸びやかなA音に合わせ低弦、高弦、管楽器と3段階に分けた丁寧なチューニングが終わり、少しの間を置いた後、大きな拍手に包まれるように飯森シェフが登場し、いよいよ演奏会の開始です・・・(つづく)

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