The “SAKURANBO” Concert 2

今日は天童市郊外の小学校で10時から音楽鑑賞教室でした・・・蒸し暑い空気の中、子供たちと地域の皆さんは私たちの演奏を楽しんでいただけたようです。このあと、15時30分から山形テルサでリハーサルです。その模様はまたあらためて・・・。

さて、昨日の続きです。飯森シェフの指揮棒が空を切り、ベートーヴェンの序曲「レオンーレ」第3番が始まります。私の席からは客席が良く見渡せるので、聴衆の反応がすぐにわかります。音楽が始まるまでは半信半疑的な面持ちで待っていた多くの聴衆は、「・・・!」のような印象を受けたのでしょう、たちまち笑顔が浮かびます。いわゆる「つかみ」の部分で聴衆の心を舞台に引っ張ることができれば、その公演の成功率はとても高まります。オーケストラは難所といわれるいくつかの箇所を見事にクリアし、とりわけフルート、ファゴットのソロが音楽にさらなる躍動感を生み出します。私も久しぶりの1stを楽しみながら、しかし慎重に演奏してゆきます。そして終結部であるC-Durの絶対的な存在感を持つアコードがホール内に響くと同時に大きな拍手が鳴り出し、飯森シェフも満足げな表情を浮かべて答礼します。

2曲目のショスタコービッチでは、ピアノとトランペット、そして弦合奏が時折ユーモアを織り交ぜながら対話と対立、融合を繰り返し、この曲の持つ個性的な色合いを強調するような演奏です。いつも思うのですが、この曲は「ピアノとトランペットのための二重協奏曲」と呼んだ方が適切です。ちなみに、同じショスタコービッチのチェロ協奏曲には、ホルンが同様の役割を担っていて、とても珍しい2曲です。ソリストの河村尚子さん、井上直樹さん、そして山響の弦楽セクションもそれぞれ素晴らしい演奏で、この曲での近年稀に見る名演だったと思いますし、聴衆の反応も大変エキサイティングなものでした。ここで休憩に入り、バックステージではソリストに祝福の嵐が吹き荒れます。また、名誉指揮者の黒岩英臣先生や、假屋崎省吾さん、秋川雅史さんも飯森シェフや二人のソリストに祝福に訪れ、談笑しています。

後半のチャイコフスキーでは、先ほどまでソリストであった首席トランペットの井上さんも自分の席に着きます。ソリストが後半のプログラムも演奏する事はごく稀ですが、いつもの通り元気いっぱいで、疲れも感じさせません。冒頭、ホルンのファンファーレがトランペットに渡される箇所は、決して易しくはないのですが、響きはスムーズです。ゲネプロより高揚した音楽、しかしバランスには注意を払いながら音楽は流暢に進みます。チャイコフスキーというと、往年のソヴィエト時代のモスクワやレニングラードのオーケストラが演奏する大変に激しい響きを連想しがちですが、それに比べると山響のチャイコフスキーは西ヨーロッパ的な色彩を帯びるかのような洗練を示していると思います。オーボエ、フルート、クラリネット、ファゴットの豊かな音色と、透明感のある弦楽セクション(編成が少ない事が逆に美しい響きを生み出している、と言ったら弦の皆さんに叱られるでしょうか・・・)が美しい音楽を織りなしてゆきます。金管セクションもパワフルですが、混濁する事なく響いています。そして第四楽章で最高潮に達した音楽は、第一楽章冒頭のファンファーレが再び現れる事で自ら運命を断ち切るかのように立ち止まります。そして歓喜のフィナーレ・・・まるで、ベートーヴェンの5番のようです。オーケストラはすべてを解放したようなサウンドで音楽を締めくくり、聴衆の熱狂的な拍手がホールを埋め尽くします。飯森シェフは、カーテンコールの間、管楽器の首席奏者をはじめ、活躍したセクションに答礼の起立を促し、プレイヤーもそれに応えます。会場を埋め尽くした聴衆も満足した表情でステージを見ています。本当に大成功な演奏会だったと思います。終演後はどの顔も心地よい疲労感に満ちていて、達成感を持ってホールを後にしました。私は都内某所、某芸能人がプロデュースするお店で打ち上がり、心と体を解くように過しました・・・。

山響は来年もこの時期に再びオペラシティに帰ってきます。そして来年は秋にも首都圏でのコンサートが予定されているそうで、ますます拡がる山響への期待にしっかりと応えられるよう、これからもがんばりたいと思っています。今回、聴きにきて下さった多くの方々、そして山形で応援して下さったファンの皆様、本当にありがとうございました!

The “SAKURANBO” Concert

毎年6月は演奏旅行などで遠出する事が多く、今月も新潟をはじめとする音楽鑑賞教室やテルサ10周年公演、そして「さくらんぼコンサート」と怒濤のごとく過ぎてゆきました・・・今年も半分終ろうとしているんですね・・・

さて、少し遅れましたが、東京公演が大成功に終わり、昨日は今月唯一のオフだったので、都内でゆっくりしてから深夜に山形に戻ってきました。でも今日は上山エコーホールで午前、午後と音楽鑑賞教室で、そのあとクリニックとレッスンで、「閉店」は21時過ぎと相変わらず過酷なスケジュールです。

「さくらんぼコンサート」は、もう何回目になるのか、分からないほどになりました。たしか最初は黒岩先生だったような・・・阪さんでの公演もありました(私は私用でお休みしていました)飯森さんがシェフ(オーケストラの世界では、常任や監督のことを「シェフ」と呼びます)になってからは、観客動員も次第に増え、今回は公演一ヶ月前に売り切れという、地方オケの東京公演ではまずあり得ないような事態になり、いつもは山形らしく若干のんびりペースの楽団事務局も蒼白になって事務作業に追われていました。25日に大久保でのリハーサルを終えたあと、私は渋谷に向かい、都内でがんばる弟子達と毎年恒例の飲み会で盛り上がり(本番前日なのに深夜まで・・・)鋭気を養い、弟子達と元気を分かち合いました。

26日、本番当日は爆睡できたことで前日までの疲れ(体の半分くらいはまだ新潟県にいるようでしたから)も取れ、臨戦モードができ上がっています。ゲネプロは14時30分から始まり、メンバーもリラックスした中にも集中力が高まった表情を浮かべています。チューニングのあと、飯森シェフが体一杯のアクションを起こすと同時に、今回私が唯一1stを演奏するベートーヴェンの「レオノーレ序曲}の最初のG音が力強く響いた瞬間、ホールが楽器となったように山響のサウンドで満たされます。このホールは、必ずしも音が出しやすい訳ではありませんが、そんな事はもう誰も気にしていません。一通りプログラムを通しながら、サウンド、フレージング、バランスを整えてゆきます。ショスタコービッチのピアノ協奏曲ではソリストの河村さん、トランペットの井上さんも好調で、5月の定期での演奏と比べてより緊迫感のある音楽を創ってゆきます。ここが「協奏曲」の一番面白いところかもしれません。チャイコフスキー4番では管楽器と弦楽器のバランスをあらためて吟味し、細部を最終的に仕上げます。確かに山響のサウンドは格段に洗練度が上がったかもしれませんが、この曲をわずか36人の弦楽器群で演奏するためにはセンシティヴなアプローチが必要です。

ゲネプロは予定よりも早く終わり、今回は家まで着替えに帰る訳には行きませんが、それでも必ず一度ホールから出ます。今日のために山形から聴きにきてくれた大切なゲストとカフェで軽食をとり、談笑します。本番一時間前に楽屋に入り、着替えを済ませ軽くウォーミングアップをしながら集中を少しづつ深めてゆきます。本番の30分ほど前にはほぼ全員がバックステージで準備を終えています。15分前には飯森シェフによる山響の演奏会では恒例になったプレトークが始まります。飯森さんは最近、吉村山形県知事から「おいしい山形親善大使」に任命された事もあって、「おいしい山形」と書かれたオレンジ色のハッピを燕尾服の上に着込んでステージに現れました。私たち楽団員はバックステージのモニターでその様子をうかがっていましたが、本当に客席が満員で、山響に対する注目度の高さをあらためて実感しました・・・

プレトークが終わり、ステージマネージャーの大塚さんの合図で楽員が’舞台に登場します。ひときわ大きな拍手でオーケストラを迎える満員の聴衆からの熱い視線が突き刺さるようです・・・特に、ステージ脇のバルコニー席の聴衆は、身を乗り出しているほどで、そのほとんどが山響に初めて接する方々なのでしょう、通常より少ない弦楽器群を見て驚いているのがよく分かります。全員が整列し終えるとコンサートマスターの犬伏さんが登場し、客席に一礼し、オーボエの第一席に座る佐藤さんに向かってチューニング音の開始を促します。佐藤さんの奏でる伸びやかなA音に合わせ低弦、高弦、管楽器と3段階に分けた丁寧なチューニングが終わり、少しの間を置いた後、大きな拍手に包まれるように飯森シェフが登場し、いよいよ演奏会の開始です・・・(つづく)

A rehearsal

岡田ジャパン、素晴らしい勝利でした!

日本人離れしたアグレッシブな動きが最後まで続いたようで、この先も楽しみです!

さて、広範囲に動き回った今週の締めくくりは、26日の「さくらんぼコンサート」です。今日は車で山形を出発し、新宿区百人町(大久保駅付近)にある東京交響楽団のリハーサル場に到着し、リハーサルを行いました。この会場は、長年にわたり東京交響楽団の事務局、リハーサル場として戦後日本のオーケストラの歴史を語る上でも大変に重要な場所です。私は学生の頃、そう・・・30年以上前でしょうか、ここを訪れた事があり、今日はそれ以来です。今では大久保駅付近はいわゆる「コリアタウン」として大きく発展し、まるでソウル市内のようです。リハーサル場に入ると、歴史を感じさせる雰囲気が伝わってきて、自分の師匠や諸先輩達がこの場所で技を磨き、東京交響楽団を発展させてきた事を実感できます。リハーサルは音楽の流れや細かな確認を中心とした念入りなもので、指揮者として若い頃からこの場所で東京交響楽団に鍛え、育てられてきた飯森さんが、自らのオーケストラである山響と全力で音楽を創ってゆく姿は、ここからまた新たな歴史が始まるかのような雰囲気に満ちていました・・・・

A moment

東京での会議を終え、山形に戻りました。20日から今日まで、5日間で2000km走りました・・・総走行距離はちょうど270,000kmになりました。明日は東京でリハーサルなので、このまま滞在し続けた方が楽なのですが、今日は山形市内でクリニックとレッスンが一件づつあり、時間を有効に使わなければなりません。また、VWのディーラーでオイル交換も必要です。それからもう一つ、とても楽しみにしていた事があったのですが、残念ながらそれは今日は叶わなくなってしまいました・・・

明日からは「さくらんぼコンサート」のため、ふたたび東京です。もちろん移動は車・・・先ほど、クリーニング店から燕尾服を引き取ってきました。最近、本番続きでステージ衣装にも疲労感が漂い始めていましたが、リフレッシュして戻ってきた燕尾服のさわやかな輝きが、本番に向かう気持ちを新たなものにしてくれるかのようです。

Roots 2

今シリーズの本番を三条市内で終え、山形に帰る・・・ではなく、夕方からのオーケストラ協議会の会議に出るために関越道で東京に向かいます。三条〜新宿のMUJ本部までは290kmと、21日の900kmに比べればはるかに楽ですが、時間に余裕があるのでゆっくり(それでも、まだ「速い」かもしれませんが)走ります。関越道練馬出口には15時頃に到着しましたが、18時からの会議までにはかなり時間があるので、どうしようかと考えていたら、目白通りと環状七号線が交差する「豊玉陸橋」に指しかかりました。ここは、学生時代に住んでいたところで、昨日の新潟ではありませんが、とても懐かしい場所です。昔を思い出したら急にいろいろ見たくなり、大通りから住宅街へ入ります。昔のままのものは少なく、新しいマンションやコインパークなどが立ち並んでましたが、私が住んでいたアパートと大家さんの邸宅はまだ健在でした。さすがに30年も前なので老朽化が激しそうでしたが、往時をしのばせるに充分な雰囲気を醸し出していました。さらに、大学(武蔵野音楽大学)のある「江古田」に向かい、久しぶりに大学と「音大通り」と呼ばれるエリアを散策し、学生時代と同じ匂いのする空気に触れ、大いにリフレッシュすることができました。その後、新宿に移動し、まだ時間があるのでオフィスでこの文章を書いています。東京には2週間に一度位のペースで来ていますが、昔の思い出のあるエリアにはなかなか行く時間がなく、今日はとても嬉しい一日です。この後も気分良く仕事ができそうですね。

Roots

昨日は名古屋から戻って4時間位しか眠れなかったけど、不思議と睡魔に襲われる事なく一日を過せました。今日は雨も降らず、新潟平野にどこまでも広がる景観が自然の豊かさを感じさせます。新潟県には山響入団の1984年以来、数えきれないほど訪れていますが、ここに漂う風にはいつも親しみを覚えます。というのも、北海道名寄市(私が長く過したのは合併前の「風連町」です)」の実家に代々続く「佐藤」の源流は、ここ新潟県にあるのです。明治34年(1901年)に新潟県南蒲原郡(現・見附市)から北海道雨竜郡雨竜町(現在の名寄市近郊)に入植した祖先から数えて4代目が私で、私の伯父にあたる(つまり、父の長兄)3代目長男は、現在も見附市にある先祖の菩提寺と今も残る親族をよく訪れていました。今日も午後の本番があった十日町市から117号線をドライブしながら宿泊地の三条市まできましたが、三条市のすぐそばに見附市があります。実は山響でも見附市で公演した事も数度あるのですが、いつも時間がなくゆっくり見附市に滞在する事ができませんでした。伯父は農業の傍ら毎年のように見附を訪れ、帰りに山形に寄ってくれたものです。いまは伯父も亡く、私の故郷と見附市を結びつけられるものは私しかいなくなりました。また、これも不思議な偶然ですが、明治33年(1900年)、私の実家の名寄市に初めて入植の鍬入れをしたのは、山形県藤島町(現・鶴岡市)の方々で、今も名寄市には当時の方々が造られた「山形神社」と呼ばれる神社が残されています。普段は特に意識しませんが、新潟〜北海道〜山形の時の流れを共有する私が頻繁に新潟県にいられる事には不思議な縁を感じます。来月も山響で新潟県内を廻りますが、ぜひ見附市を訪れて、遠い昔日へのさまざまな想いを亡き先祖と共に偲びたいと思います。

on tour

更新する時間がなく、少し空いてしまいました。20日の金管五重奏は、村山市に新たに建てられた「甑葉プラザ」で地域の皆さんと一緒にブラスの響きを楽しむ事ができました。ホールは山形テルサのアポローズ位でしょうか。木材がふんだんに使われているので、自然な響きがします。山響の弦、木管のアンサンブルでもきっと良い響きがするでしょう。また、図書館やカフェも併設されていて、デザイン的にも素敵な施設です。これから新たな市民の交流の場としての期待が高まります。

本番終了後は山響の新潟ツアーに出発です。今回は三泊四日、5回の学校公演で、新潟県上越、中越、下越と毎日北上してきます。20日の本番終了後は上越市まで移動し、21日は上越市内、小千谷市内のそれぞれ小学校で演奏しました。この時期の体育館公演はとても蒸し暑く、演奏には苦労が伴いますが、みんな汗だくでがんばっています。開演前のウォーミングアップでは、26日の「さくらんぼコンサート」で演奏するチャイコフスキーを練習する様子も聴こえます。

21日は15時に二回目の本番が終わると、MUJオーケストラ協議会の会議に出席するために車で名古屋に向かいました。小千谷からは北陸道〜上信越道〜中央道〜名阪道をたどりおよそ460キロの道のりです。会議は18時30分からの開始でしたが、一時間遅れで19時30分に無事に名古屋に到着しました。22時30分頃まで名古屋に滞在し、明日の公演地である新潟県津南村付近まで移動し、21日だけで約900キロ近くドライブしました。疲れていないといえばウソになりますが、高速ドライブは私にとって一番のストレス解消です。ホテルには午前三時に到着し、爆睡です・・・今日は津南、十日町で本番後、燕三条に移動です。広々とした田園風景を見ながらのドライブはとても心地よいです!

The artist

中村紘子さん、凄かったです・・・

以前にも山響とショパンの一番を共演させていただいた事がありましたが、今回はさらにスケールの大きな音楽を表現され、まさに圧倒的でした。ショパンの協奏曲は何百回と弾かれているのでしょうが、リハーサルから高い集中力でホールの空気を音楽に変えてゆく様は、真のアーティストとしての姿を示しているようでした。本番ではオーケストラが奏でるモティーフをその何倍にも美しくして返してきたり、リハーサルとは違う音楽の動きや音色が次から次へと出てきて、お互いの創造力を限界まで駆使した演奏だったのではと思います。とりわけ、第二楽章での弱音の美しさと陰影深い語り口が強く印象に残ります・・・

A voice

山形テルサ オープン10周年プレミアムコンサート初日が終わりました。ソプラノ森 麻季さんの演奏は本当に素晴らしかったです!滑らかで輝きのある美声と、ヘンデルでのバロック唱法からロッシーニ、シュトラウスの圧倒的な表現力には驚嘆しました・・・

私たち器楽奏者は、誰もが人の声に近づきたいと思っていて、音色を作る事や表現することを「voicing」と呼んだりします。楽器を完全に自由に操る事が伴わなければそれも困難ですが、森さんの音楽からは私たちにとって最も大切な「何か」が伝わってきたように思います。今日はデビュー50周年を迎えた日本を代表するピアニスト、中村紘子さんをお迎えしてショパンの協奏曲です。演奏家として円熟期にある中村さんの「voicing」がどのようなものか、興味は尽きません。

Johannesburg

ワールドカップサッカー南アフリカ大会は、日本の歴史的な勝利や、昨日のスペインVSスイスの予想外の展開など、開幕早々からボルテージの高さが際立っています。現在のところ、治安面で命にかかわるような深刻な問題は発生していないようですが、最後まで安心はできませんね。

実は、私も2008年9月28日から10月4日まで、FIM(国際音楽家連盟)の総会に参加するため、単身でヨハネスブルグに行ってきました。日本からは直通便はないので、成田から香港まで4時間半、乗り換えでヨハネスブルグまで12時間以上かかりました。出発前はどの資料を見ても「世界最悪の犯罪都市」「警戒度最高」などとあり、とにかく不安だったことを思い出します。会議はおよそ200名の世界中の音楽ユニオン関係者や南アフリカの文化大臣なども出席する大規模なもので、MUJ (日本音楽家ユニオン)からは私一人の参加でした。開場はヨハネスブルグ市内でも最も安全な「サンドン地区」のホテルを借りきって行われ、日中ならば一人で付近を歩いても安全といわれ、実際大丈夫でした。また、ホテル周辺は地下のショッピングモールを含め、武装警官(警官というよりは完全に軍隊)が機関銃を所持しているという物々しさで、不審な行動をとったらたちまち射殺されるのでは・・・という雰囲気でした。また、空港に到着したら現地のユニオン関係者が迎えに出ているとの連絡を受けていましたが、誰も来ていなくて、迷った末に空港のオフィシャルコンセルジュに相談し、安全なタクシーを手配してもらい、不安ながらも無事にホテルまでたどり着く事ができました。現地の気候は日本と正反対で、初夏のさわやかさが心地よく、果物や野菜がとても美味しく、予想よりもはるかに快適でした。写真はホテル付近と、ネルソン・マンデラ広場にあるマンデラ氏の像の前に立つ私、そして果物を売る露店です。(つづく)

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