山響に入団後、「レオノーレ序曲」を演奏する機会はなかなかやって来ませんでしたが、1992年12月13日に秋田県能代市で第九を演奏する事になり、その前プロで「レオノーレ序曲」が入りました。当時私は主に第一トランペットを演奏していたので、序曲では井上さんに第一パートを担当してもらい、第二パートにエキストラ奏者を入れ、私は「バンダ」と呼ばれる舞台裏のファンファーレを担当しました。
少し話がそれますが、この「バンダ」にはいろんなオーケストラで面白い話があり、最もすごいのは1960年代初頭に東京文化会館がオープンした頃の話です。国内の某メジャーオーケストラで「レオノーレ序曲」を演奏する事になり、有名な首席奏者の某氏が舞台裏で待機し、曲が進みいよいよファンファーレを勢いよく吹き始めたら、ちょうど同じような場所にいた会場の警備員に「ちょっとあんた!今本番中なんだからこんなところでラッパ吹いちゃダメダメ!!」と言われ、楽屋の方に連れて行かれそうになった事があったそうです。もちろん実話ですよ。ステージマネージャーが慌てて飛んで来て何とか収まったそうですが、この話にはいろんな尾ひれがついていて、「羽交い締めにされながら吹いた」とか、「逃げ回りながら吹いた」、「吹けなかった」とか様々なバリエーションがあります。今ではバンダのそばにステージマネージャーが付いていますし、もちろんどこのホールでもこんな事は起きません。
さて、山響の話に戻ります。リハーサルではバンダの位置を決めるために何度かファンファーレを吹いて、目張り(床にテープを貼り目印にする事)をして全てOK!第九のリハーサルも要領良く終わり、本番を迎えるだけになりました。
本番では会場があまり大きくないので、私は舞台上手袖に立ち、ステージの反響盤の隙間からわずかに見える指揮者を頼りに出番を待っていました。曲が進み、出番が近づいてくると次第に周りが騒がしくなって来ます…序曲の後の第九に備えて合唱団が舞台袖に集まり出したのです。リハーサルではこんな事はなかったので、少し驚きましたが、気にしてもしょうがないので演奏を聴きながら出番を待っていました。そして出番まで1分ほどだったでしょうか、演奏の準備のために椅子から立ち上がり、楽器を構えようとした瞬間、合唱団の女性(比較的高齢)から、「あの〜こさでラッパさふぐんだが?」と話しかけられ、「はい」と答えたら、その女性は近くにいた合唱団の皆さんに向かって、「お〜い!今がらこごさでラッパさふぐんだど!みんなでこっちゃさぎてみるべ!」と本番中なのに大きな声でみんなを呼んだのでした。合唱団の皆さんは悪気はなく、ただ面白そうだと思ったのでしょう。私の周りはあっという間に「なまはげ」のような秋田県民に囲まれてしまい、指揮を見るための反響盤の僅かな隙間も埋め尽くされてしまいました。その時点で出番の4小節前でした。私は「指揮見えないからどけて下さい、お願いします」と必死に小さな声で叫びますが、「なまはげ」の皆さんには聞こえなかったようで、逆にどんどん人が増えて来ます。「わあああ…どうしよう¥&@#%^€$£( ̄▽ ̄)@><~|\」と、その時異常事態を察知したステージマネージャーの大塚さんが舞台下手から現れ、「なまはげ」を追っ払ってくれました。で、勢いよくファンファーレを吹いたら、「おおおおおお〜」と皆さんが歓声をあげ(良く客席に聞こえなかったと思います)大喜びしています…「もう一回あるんだから静かにして下さい…(T_T)」そして2回目も無事に吹き終え、疲労困憊した私は大盛り上がりしている「なまはげ」の皆さんに「いがっだなあ」「んだなあ、こいは(これは)すごい」と称賛され楽屋に帰りました… 後半の第九では演奏も合唱団も素晴らしく、充実した演奏会でしたが、演奏中も序曲の事件を思い出すと可笑しくて仕方なく、笑いをこらえるのが大変でした。東京文化会館の「レオノーレ事件」のような事がまさか自分の身に起きるなんて、思いもよらなかったです。その後しばらくは能代市での公演は続きましたが、次第に財政難で継続が困難になったと聞きました。あの時「なまはげ」のように見えた皆さんは今はどうしているでしょうか… 今日の「レオノーレ序曲」は無事に演奏できるでしょうか…この曲を聴くとフィラデルフィア管弦楽団の鮮やかな演奏と、能代市民会館の舞台袖を今でも思い出します。
本当に「あり得ない(?)」ような出来事ですね。(((^_^;)(私も第九などで、何度もオーケストラと合唱で共演したことがありますが…)
まさに秋田の皆さんの「素朴さ」のなせるワザ!?
でも、そんなシチュエーションでSatohさんの演奏を間近に聴けたなんて、その時の合唱団員の皆さんがうらやましいです…。(^^)